“拘り” への気づき

現在保険の代理店を営むDさん。
保険会社の第一線で働いていたとき、仕事に熱中、無理を重ね病気になります。
その頃の仕事の状況および心の動きが原文にはリアルに描かれていますが、原文をピックアップしてみます。(from雑誌「れいろう2002/1」)

同業他社の保険マンとの競争は熾烈を極めた。
新規契約のための営業活動はもちろん、契約のメンテナンス、契約者へのアドバイスと、気を抜けなかった。
契約者に事故が起きれば、その処理も行った。
お客さまのため、という思いで走り回っていたが、実のところ、頭にあるのは数字ばかり。
つねに数字を追いかける毎日だった。
激務で体を壊す同僚が1人抜け、2人抜けて、彼らの仕事も任されるようになった。
素直にそれを喜んだものの、実力が10のところに、13や14もの仕事が飛び込んでくるようなものだった。
たくさんの顧客のすべてをフォローすることが不可能なのは、Dさん自身も気づいていた。
“このままでは失敗してしまう”という予感はあった。

しかし、数字が欲しいDさん。
朝早くから出勤し、家に帰るのは夜の11時過ぎという生活があたりまえになった。
ストレスが溜まり、1日に5箱ものタバコを吸うようになった。
付き合い酒も多く、飲酒が習慣になった。
やがて食欲がなくなり、72キロあった体重がみるみるうちに52キロまで落ちた。

 無理を続けていると、肉体的にも精神的にもエネルギーが乏しくなり、だんだんと仕事が手につかなくなっていった。
体調も悪くなる一方で、慢性の胃痛を抱え、それを市販の薬で抑えていた。
“いよいよこれは重症だ。このままいったら、血を吐いて倒れるか、頭の血管が切れて逝ってしまう”
――Dさんはそう思った。
自減の予兆を強く感じ、明日かもしれない病気の破裂に恐れおののきながら、Dさんは生活スタイルを変えようとはしなかった。

Dさんの予感が当たったのは、57歳のとき。
その日、体調は最悪の状態で、食欲はなく、ただ水分を摂るばかりだった。
胃のむかつきと吐き気と目眩に襲われ、薬を飲んでもすでに効かなくなっていた。
しかし、自分の体調のことを言うと周りに迷惑がかかると思い、言い出すことができなかった。
冷や汗が体中から吹き出し、さすがにこれは限界だと思ったDさんは、自宅に電話をかけ、妻の幸子さんに迎えを伝えた。
立つこともつらくなり、横になると、激しい吐き気を感じた。
胃の中のものが逆流してきた。
出てくるのは黒い液体のみ。
最後に真っ黒い親指大の血の塊が出てきた。
それを見た瞬間、「もう、これは駄目だ」とDさんはパニックに陥った。

周りの人が驚き119番に電話してくれ、Dさんは病院へと運ばれた。
2時間半かけて胃洗浄の処置が施された後、胃カメラを飲んだ。
自分で自分の胃の中を見ると、胃壁が真っ黒で、人個の穴が空いているのが確認できた。
ぼ― っとする意識の中で、Dさんの耳に、病院に駆けつけた幸子さんと院長の言葉が聞こえてきた。
「なんとか命だけは助けてください」
「これだけ血を吐いたのだから、腹を切っても助からない。ともかく、今日明日が山です」
そんなやりとりを耳にしながら、Dさんは意識を失った。

Dさんは意識のないまま集中治療室に入れられ、2日目に目が覚めた。
そのときに家族全員が集まっているのに気づいた。
心の中では、「もう終わりだな」という思いと、生まれ故郷に帰りたいという気持ちが浮かんでは消えていった。
入院から7日日、Dさんは一般の病棟に移された。
日ごろの不摂生と大量の吐血で体力が落ち、立つことも這うこともできなくなっていた。
それでも、仕事のことが気にかかり、早く退院したい一心で、回診時の医師の質問に「痛くないです」「もう大丈夫です」とウソをつき続けた。
そんなウソが吹き飛ぶようなことが起きた。
入院後、はじめて重湯を口にしてしばらく横になっていると、Dさんは激しい吐き気とむかつきに襲われた。
堪えようとしたが、口から鮮血が吹き出した。
一瞬にして隣のベッドも血に染まった。
意識を失ったDさんは、すぐに手術室に運ばれた。
あまりの惨状に、同室の人たちから“Dさん、今度こそ駄日かもしれない”と思われたようだが、Dさんは再び病室に戻ることができた。
最初に吐血したときは生きる気力をなくし、どこか捨て鉢になっていたところがあった。
しかし、二度目に吐血し、まだ生きているということを確認したとき、何らかの力が自分に働いたと痛感した。
「人は生きているのではなく、生かされている」という言葉を思い出し、自分が大いなる力によって生かされている存在であることに気づいた。
入院生活は37日。
なんとか退院でき、通院しながら体力を貯えようとしたが、気になるのは仕事のことばかり。
部下に預けて指示を出すようにしたが、結局、人間関係がうまくいかなくなっていった。

このような状況でさらに数年が過ぎたあるとき、Dさんはハタと気づきます。

“自分はいったい何にこだわって苦しんでいるのだろう”と。
こだわりを捨てれば楽になると考えて、仕事の主導権を人に渡して身を引いた。
こだわりの雲をはらい、心に青空が広がると、体調の回復は不思議なくらい早かった。

Dさんは述懐されます。

「実は、私の病気は、バチが当たったのではないかと思っているんです。
どんなバチかというと、退院してお世話になったところにお礼を言いに行っても、その“ありがとう”という言葉が自分にしか向いていなかった。
利己心から出たありがとうだったのです。ご恩返しをしようなんて考えてもいなかった。
だから、仕事へのこだわりも捨てられず、健康も戻らなかった。
やっとそこに気づきました。」
「還暦を迎えて、今、第二の人生のスタートを切ったところです。
今回、一生どころか二生かかっても返すことのできない借財ができました。
生かされたということは、恩というか借財を返すチャンスをいただけたのだと思います。
それはたいへんありがたいことです」

Dさんは再び保険の仕事に戻っているが、自分の心を深く見つめ直してからは、ビジネスとして数字を追うのではなく、真心をこめて安心を売るようになった。
以前はパンフレットや資料を抱えて契約を取ることを目的に訪問していたが、今は何も持たずに訪ねて、相手の話を聞いたり人生設計上のアドバイスをしたりと、仕事を超えた関わり合いの仕方が中心になっている。

長い引用となりましたが、身につまされる感を抱かれた方もおありだろうと思います。
「頑張らなければ」「頑張ることが大事なんだ、これしかないんだ」「これを切り抜ければーー」というような思いで、Dさんと同じように頑張られたことだと思います。
そういう時代でもありました。
今もそのような気持ちで頑張られているかもしれません。
「頑張る」ということは大切な心構えと思うのですが、ただそれが利己的に働き過ぎるといろいろと支障が出てきます。
「“拘り”を捨てると気が楽になり、今までとは違う生活スタイルが現出しますよ」とDさんは教えてくれています。
今問題となっている「メンタルヘルス」もこのような視点も必要ではないかと思うのですが、ただ、拘りを持っている人に「拘りを捨てよ」と言っても通用しないだろうとは思いますが--。
分かっていれば捨てているはず。
その余裕が持てないで苦しんでいます。
やはり、Dさんのような試練と気づきの時間が必要になるのかもしれません。