避難生活について⑤体験事例他2

避難所生活について具体的に深めていくことは、体験がない限り限界を感じます。
前回は、体験者の避難生活における課題について、参考とさせていただいている「イツモノート」(ポプラ文庫)の内容を取っ掛かりとして、「避難生活の場における避難者相互間のルール化等」を話題とさせていただきました。
今回も引き続き、「社会道徳性」と考えられる事項についてピックアップさせていただきたいと思います。

●報道関係のヘリコプターの爆音
  • 『爆音で、会話が出来ない!』
  • 『新聞社やテレビ局のヘリコプターが、地震のあった翌日の朝から阪神間の空を飛び回りました。
    その轟音は、不安な被災者たちの耳を塞ぎ、互いに必要な連絡や声かけ、救助活動もに支障をきたしました。』
  • 『腹が立つより困った。
    (ヘリコプターの音で)人との話し声が聞き取れない。
    倒壊したマンションの中で外からの声は聞こえるのに、自分はいくら叫んでも外へは聞こえない!』
  • 『ヘリコプターの音は腹が立ったことも事実ですが、見守ってくれているとも思った』

被災者を無視した報道陣の振るまいが言われています。
「民間放送のヘリコプターは単なる自分たちの取材のため、しかし自衛隊のヘリは救助活動のためのもの」とハッキリとは区別出来ないまでも、上記に対する配慮は当然にされて然るべきと思います。

●被災者と傍観者、見る者と見られる者という大きな溝の形成
  • 『普段なら電車で20分の所では、いつもと変わらない日常生活が営まれているという現実。
    地震によって、被災者と傍観者、見る者、見られる者という大きな溝が生まれていることに、気が付かない人も多くいました。』
  • 『カメラマンの被災者の神経を逆なでするような振る舞いに怒りを感じた』
  • 『被害に遭わなかった人達がカメラをぶらさげてぞろぞろ歩いているのを見て、無性に腹が立った。』
  • 『代替バスを待っていて、「煙草捨てるな!」「覗くな!」等の怒りのこもった張り紙があり、被害の少なかった私は申し訳なく、身の縮む思いだった』
  • 『阪神電車の中で、被災者ルックの乗客の中で、背広の初老の男が小型カメラ片手にいかにも嬉しそうにのびのびと1.5人分くらいの席をとってくつろいで(つまり、行儀良く足を揃えて座っているのではない。足をゆるく組んで、片腕も時々振り向くために背もたれにあずけている)そして嬉々として左右の窓から壊れた家、景色を眺めるのだ。
    私、こんなこと許されていいのかと、顔に血がのぼったけど誰も怒らないし、でも私、怒ってもよかったかなと今でもわからない。』

被災者の心情を察しての見学気分の訪問は控えるべき。
(「もしかしたら--、自分の行動はどう思われるか--」というような気付きが持てたら---)
それよりも「何か手助けになることを考え行動せよ」ということでしょうか

◎アンケート調査のあり方について

 「あらゆる“アンケート調査”」について筆者の渥美先生は指摘されています

  • 被災直後の情報の把握は次へと活かせるが、される側にとっては「たまったモノじゃない」という面もある。
  • そもそも、避難生活をおくる時期に尋ねる必要性は感じない。

そして、避難所での一次避難の時期が過ぎると--3つの方向
無事避難が出来て、ひとまず落ち着いた後、今後の避難生活をどこで続けていくかの問題が待ち受けています。
避難の後に長く続くであろう避難生活について、次のように書かれています。

『地震直後の緊張状態がとけ、皆それぞれの立場から次の生活の場所が決まっていきます。
家が無事な人は、自宅で。
家が倒壊、あるいは危険な状態にある場合には、親戚などを頼って疎開するという選択肢もあります。
被害に遭っていない土地に親戚などがあるかどうか、疎開させてくれる人間関係にあるかどうか、悩むところです。
そして、それができない場合、好むと好まざるとにかかわらず、避難所が生活の場になります。』

【パニックは本当に発生するのか?】
大阪大学大学院教授 釘原直樹氏が、<雑誌「安全と健康」2021年7月号>において、
『緊急時の人間の行動は、一般的なイメージ(パニックや反社会的行動)とは異なる。
人は緊急時でも、日頃の人間関係や社会規範に基づいた向社会的行動をする傾向がある。』

と、心理学の立場から説かれています。
日頃の心構えとしても多くの参考となる内容が含まれています。

【緊急時の行動に関するイメージ】

・災害や事故が発生し生命や財産が危険にさらされたときには、パニックが発生するというイメージがある。
日頃の社会構造(家族や友人の絆、長幼の序など)やルールは崩壊し、人々は自己中心的になり、理性を失い、略奪・暴動などの反社会的行動をしたりする人々の姿がイメージされる。
しかしこれは現実とは異なる。

【行政当局のパニック観】

・このようなイメージが流布している理由は様々考えられる。
・行政当局(エリート)がパニックの発生可能性によく言及するのは、その方が自分たちに都合がよいからだ、という見方もある。
パニックを防ぎ、群集をコントロールするためには、資源や情報を自分たちエリートの側で集中して管理しなければならないと考えるものである。
もし事態が悪化しても、パニックが原因ということになれば、自分たちの責任はあまり問われない可能性もある。
・一方、そのようなエリートこそがパニックの主要原因になっていると主張する研究者もいる。
行政当局は大衆の行動に不安を持ち、パニックを恐れるために情報を隠すこともある。
場合によっては不完全な情報を出すことにより、人々の適応行動をかえって阻害することもある。
安心させる目的で発する「大丈夫、冷静に」という根拠がない情報は、避難を遅らせ、被害を拡大させる可能性もある。
2014年に韓国で起きたセウォル号沈没事故の被害が拡大したのは、このような情報のためであった。

【実証的研究の結果】

・実証的研究の多くは、人は緊急時でも、日頃の人間関係や社会規範に基づい向社会的行動をとることを示している。
・2001年にアメリカで起きた9.11同時多発テロのときに、崩壊した高層ビルのワールド・トレードセンター内での人々の避難行動を調べた研究によれば、ビル内にいた何千人もの人が、混雑した階段を、整然と順番を守って避難したということであった。
そして大多数の人はパニックになったわけでもなく、自己中心的行動をしたわけでもなかった。
自分たちが生命の危機にあることが分かっていながら冷静であり、そして互いに協力しながら行動したというのである。
消防士が階段を上がってくるときは隅によけたり、怪我をしている人や気を失っている人を助けたりした。
また、人が通れるようにドアを押さえ、そして人々を誘導するためにビル内に居残った人さえいたということである。
多くの人は通常の役割に従って行動し、役割放棄も実際はほとんど起きなかったのである。

【To Be Continued】