津波「釜石の中学生の“ひと言”」 ⑨

昨年(2018)の2月、南海トラフ地震の今後30年における発生可能性が70%から80%に引き上げられました。
--それから1年経ちました。(計算上は)約0.1%発生確率がUpしたことになります。
今まで、“人ごと”のように公共機関等から発せられる防災関係の情報を受け取っていたのですが、「この“災害”に向き合わねば」と思うようになりました。
世間から見れば、「何を今更、遅い!」となりましょう。
(阪神淡路大震災で震度4の揺れを経験し、東日本大震災であれほどの情報を受けながら、そしてそれらを上回ると想定される南海トラフ地震の大被害想定地域に居ながらこの始末です!)
しかし最近、「もし今、グラッときたら?!」というような予知想念が湧くときがあります。

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前月につづき、震災以前から釜石市の防災指導に当たられていた片田敏孝先生(当時群馬大学「広域首都圏防災研究センター」センター長)の「東日本大震災における釜石の小中学生を中心とした津波避難の記録」を参考とさせていただきたいと思います。


【正常化の偏見】
『率先避難者たれ』で、先生は「逃げる」ときの心理状態について生徒たちに話します(1月⑦掲載)
「だからな、人間っていうのは元来逃げられないんだ。
 みんなが『大丈夫だよな』と言いながらその場に留まっていると、全員が死んでしまう。
 だから、最初に逃げるっていうのは、すごく大事なこと。
 だけど、これが難しいんだ。
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「人は正常化の偏見を持つもの--」と先生は指摘しています。
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「正常化の偏見」とは、「自分は大丈夫」と一生懸命思い込もうとする心の作用。
自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりして、「いつもと変わらず正常である」と心の状態を保とうとする人間の特性。
非常ベルが鳴ったとしても、危険な状態に自分が置かれていると思いたくない。
だから、「この前も鳴ったけど、大丈夫だったよな」と思ったり、「煙の匂いもしないから、大丈夫だろう」と思ったりする。
つまり、最初に届いたリスク情報を無視するような傾向になる。
人間は、大丈夫だとは思えない事実を目の前に突きつけられるまで、そういう「正常化の偏見」の状態を続けることになる。
非常ベルが鳴っただけでは動かず、誰かが「火事だ!」と言ったときに、ようやく逃げる。
つまり、行動を起こすには2つ目の情報が必要となる!
(行動を促すための追い打ちとなる情報が必要!) ★
従って、災害情報は、同じ情報をいろいろな形で繰り返し伝える必要がある!


「人は正常化の偏見を持つもの--」という先生の指摘!。
  人は “自分の都合のよいように出来事を解釈しようとする傾向” がある。
  しかし、それは客観的に見れば「個人の身勝手な偏見」となる場合が多い。

何ごとにせよ、この傾向があることは分かります。
「何回注意を受けても、実感を持って受け入れられない(受け入れたくないものは遠のける!)」ようなことはよくあります。
これで無用な神経の使用を減らしていると理屈を付けることも出来ますが、危急の災害時においてはこれが裏目に出るというのです。
そして、この偏見を覆し、行動を起こさせる(重い腰を揚げさせる)には、第二の(追い打ちとなる)情報が必要となると指摘されています。
「人は、1回言っただけでは動かない(聞き入れない)」と思って対応することということです。
「言ったよ(伝えたよ)」というだけでは、足りないのです。
心しなければならないと思います。

「今回のような大震災に遭ったとき、あなたはどう対応しますか?」
という質問に、
「瓦礫の下に埋まっている人を救助するような活動をしよう」
と考える人が多いとのこと。
自分が瓦礫の下に埋まっている姿を思い浮かべる人は少ないそうです。
これも「正常化の偏見」といえるのでしょうか。

 

<次月に続きます>