津波「釜石の中学生の“ひと言”」 ⑩

昨年(2018)の2月、南海トラフ地震の今後30年における発生可能性が70%から80%に引き上げられました。
--それから1年経ちました。(計算上は)約0.1%発生確率がUpしたことになります。
今まで、“人ごと”のように公共機関等から発せられる防災関係の情報を受け取っていたのですが、「この“災害”に向き合わねば」と思うようになりました。
世間から見れば、「何を今更、遅い!」となりましょう。
(阪神淡路大震災で震度4の揺れを経験し、東日本大震災であれほどの情報を受けながら、そしてそれらを上回ると想定される南海トラフ地震の大被害想定地域に居ながらこの始末です!)
しかし最近、「もし今、グラッときたら?!」というような予知想念が湧くときがあります。

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前月まで、震災以前から釜石市の防災指導に当たられていた片田敏孝先生(当時群馬大学「広域首都圏防災研究センター」センター長)の「東日本大震災における釜石の小中学生を中心とした津波避難の記録」を参考とさせていただき、地震災害時における避難行動について理解を深めさせていただきました。
いろいろ教えられまた考えさせられることが多くありました。

ところで、災害について、以下のようなアンケート結果があるそうです。


問い『どういう状態だったら逃げたか(逃げるか)?』

  • 「近所の人達が避難しているのを見たなら私も逃げます」 64.1%
  • 「町内会役員や近所の人が『逃げるぞ』と声をかけてくれたら私も逃げました」 73.1%

つまり、「あなたが逃げないから私も逃げない」という不安の中で、誰か一人が率先して避難したら、もしくは「逃げるぞ」と声をかけて避難していたら、行動を起こすだろうということです。

問い『津波情報を受けて何分後に避難を始めますか?』or『地震後何分して避難を始めますか?』

  • 20分後という回答が多いそうです。

犠牲者は、時間経過に伴い指数関数的に増加すると言われていますが---


「人はなかなか逃げない(避難行動に移らない/移れない)」ということを「正常化の偏見」として指摘されています。
しかし、今回参考とさせていただいた「釜石の軌跡」と言われる貴重な避難事例には、事前の準備(教育というエネルギーの投入)がありました。

“まさにその時” の避難行動はすぐに起こさなければなりませんが、それには十分な事前の検討・準備(リスクアセスメント)が必要と思われます。
火災事例でも多く指摘されますが、「避難誘導の難しさ」等々を認識して、事前の“リスクアセスメント”とそれに基づく“リスク低減対策”を充実させておくことが大切です。
そのうえでの、“まさにその時”の「率先した避難行動」ということになります。

次のような克服すべき課題が再び浮かんできます。

  • 率先行動を起こす人は、犠牲的要素を負って(いろいろなリスクの責任を背負って)、行動を起こしてくれています。
    その行動が多くの命を救うことになりますが、率先行動を起こすには勇気が必要となります。
  • 人間とは、努力しないと、自分に都合のいい方向にねじ曲げてしまいます。(正常化の偏見) ⇒「それをどのように乗り越えるか?」
    これは、平常時において、「重要だが急がないことは後回しにされる(重要ではないが急ぐことを先にもってきて、それに時間を費やしている)」という心の行動特性を如何に克服するかという問題です。
    --差し迫った「“命”と“生活”に関わる重要であり後回しに出来ない」課題なのですが--。

<追伸>
東北地方の「津波石」に残されている言葉を見つけました。
心の中で災害が風化しないための先人の忠告です。

  • 「津波の避難は高さで逃げる」
    (遠いところではなく高いところへ)
  • 「津波は二度逃げ」
     (高いところから、さらに高いところへ:釜石の中学生のひと言!)
  • 「津波てんでんこ」
    (自分の命はそれぞれが守る)
  • 「川沿いには逃げるな」
    (川が逆流する)
  • 「逃げたら戻るな」
    (海を見に戻ったりしてはいけない)
  • 「100回逃げて100回(津波が)来なくても101回目も必ず逃げて!」

 

当筆、突然、腰から左足へかけて痛みが出て歩くのもままならなくなりました。
受診結果は、神経痛!
もし地震が発生したら--? 逃げられません!
災害弱者です!
「大規模地震が起こったらどうやって救助活動に加わろうか」と勝手な想像をしていたのですが、救助を受ける立場になっています。
(一時期であることを切望しています)