阿波国神社(回顧)

伊射奈美神社(美馬市)

イザナミ
 古事記・日本書紀(以下、記紀)の中で、イザナギ・イザナミ(以下、二神)は、日本の国土やアマテラス・ツクヨミ・スサノオをはじめとした多くの神々を生みます。国・神を生んだあと、イザナミは死んで黄泉国へ行き黄泉津大神(よもつおおかみ)となります。このように記紀の中でイザナミは、国生み・神生み・人の生死の起源という重要な仕事を行う女神として描かれています。

伊射奈美神社(いざなみじんじや)
 「延喜式」神名帳(平安時代に編纂された官社一覧。これに記載されている神社を式内社という)を見ると、阿波国美馬郡所在の式内社11社のうちの1社に伊射奈美神社の名がみえます。
 イザナミと対になるイザナギを社名とする式内社は、淡路伊佐奈伎神社をはじめとして7社ありますが、イザナミを社名とする式内社は阿波国美馬郡の1社のみです。イザナギ神社にはイザナミも併せて祀られることも多かったと考えられますが、あえて女神のイザナミを社名とする伊射奈美神社は、特殊な意味をもつものかもしれません。
 式内社伊射奈美神社の比定地については、延喜式には郡名以下の地名の記述がないため確定はできませんが、美馬町中鳥に鎮座していた伊射奈美神社は比定地の有力な候補と考えられます。

美馬とイザナミ
 記紀は、各地に伝わる民間伝承を基に編纂されているという考えがあります。このうち二神による国生み神話については、淡路島周辺に伝わっていた民間伝承が基になっているとされています。記紀では、イザナミは、広島県の比婆山や和歌山県熊野の有馬村に葬られ、イザナギは、淡路島に幽宮(かくりのみや)(地上に造った永眠の地)を造り(淡路伊佐奈伎神社…現在の伊弊諸(いざなぎ)神宮そこに隠れたとあります。しかし、二神の活躍の話が本来は淡路島付近に伝わっていた民間伝承とするならば、二神の活躍した範囲はもっと狭い地域であるかもしれません。そのように考えた場合、淡路国に隣接する阿波国の美馬郡にのみイザナミを社名とする式内社がおかれていることに特別な意味を感じます。
 伊射奈美神社は、二神が活躍する話の本来の姿の名残を伝えるものかもしれません。

<以上 美馬市ホームページより>

上一宮大粟神社(神山町)

創建年代は不詳であるが、古来いろいろな社号で呼ばれていた。14枚の棟札が現存している。祭神大宜都比売命は五穀を司る神で、昔伊勢国丹生の郷より阿波国に来られ、国土を経営し、この地一帯に粟を蒔き広めたという。
<神山町ホームページより>

祭神
大宜都比売命 (おおげつひめのみこと) – またの名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)あるいは大粟比売命(おおあわひめのみこと)としているが、史料によっては天石門別八倉比売命・大粟比売命は配祀神であるとしている

社伝によれば、大宜都比売神が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地に粟を広めたという。

歴史
『延喜式神名帳』に記載される式内大社「阿波国名方郡 天石門別八倉比賣神社」の論社の一つである。天石門別八倉比賣神社は神亀5年(728年)に聖武天皇の勅願所となり、元暦2年(1185年)には正一位の神階を授けられた。平安時代には、現在の徳島市一宮町に当社の分祠として一宮神社が創建された。

明治3年(1870年)、社名を「埴生女屋神社」と改められたが、氏子の請願により、明治28年(1895年)に現在の上一宮大粟神社となった。

<以上Wikipedia>