咄嗟の判断がマイナスに!

◎防災研修会を受講した人の話しから

 研修会は東日本大震災の時、子供たちの避難指揮を執った南三陸町の小学校の校長先生の体験談でした。
 5分間も続く経験のない揺れの中での避難時--
 ・とにかく避難はしたものの、更により高いところへ逃げるかどうするか?
 ・寒さと吹雪のなか、子供たちを建築物内に入れていいものかどうか?
 等々の判断を幾度も迫られたそうです。

 そして、その避難も一段落したと思ったとき、同僚の先生から「自宅で寝ている家族が心配だから、見に行ってくる」という申し出があったそうです。
そのとき、校長先生は “津波の襲来の危険性” は聞いて知っていたのですが、海も穏やかそうであり、津波がどの程度になるのかの判断もできず、強く引き止めることができなかったそうです。
そして、その家族を見に行った先生は津波で亡くなられたとのことです。
校長先生は強く後悔されています。

 家族を心配し、自宅へ行かれたその先生の気持ちとその時の判断には同情します。
自分もそのような場面では、そのように判断するであろうことは十分に考えられます。

◎一旦避難したのち、戻って被災

 遠い昔(もう40年以上も前の話になります)の火災時の出来事を思い出しました。
以前勤めていた会社のある工場で火災が発生し、中で働いていた従業員は全員無事に工場外へ避難していたそうですが、ひとりの女性が工場内へ走り入って煙に巻かれて死亡したという事故でした。
その事後処理に当たっていた総務部長が、「小便に血が混じっていたよ」と話されていました。
気苦労されていたことと思います。

一旦避難したのに何故走り込んだのか?
火災の危険性を冷静に認識ができず、数分前に自分が居た職場の状況が閃いて、何かの義務感で咄嗟の行動に移ってしまったのか?
周囲の人達は引き止めることができなかったのか?
等々考えたことを思い出します。

地震時、あわてて飛び出そうとしたとき、「火を消せ」という母親の声で、火を消して火災にならずに済んだという中華料理店店長の話を聞いたことがあります。
まさにその時に、周囲の人達はこの母親のようなことができるでしょうか?
そして、当事者はその警告で危険性を認識・判断でき、適応な行動がとれるでしょうか?

危急の事態に遭遇して、その対応を時間的に迫られ、かつ的確な行動の手掛かりが得られないようなとき、意識的に混乱した行動 (一種のパニック行動)を起こしやすくなります。
そして、自己の身を守るための反射的行動により、避難できたとしても、問題はその後にも出てきます。
その後の“(咄嗟の)判断”で失敗する!

 経験したことのない初めての事態に遭遇した時、今までの知識と経験を総動員して、今おかれている状況を解釈し、その事態の進展を予測し、解決手段を考えて行動に移ることを迫られます。
 このとき、知識・経験が不足していると、パニック状態となるか、或いはなんとか冷静さを維持できたとしても、誰かに助けを求めるしかなくなります。
しかし、その助けも得られないとすれば、お手上げです。
 このような状況下で、もしまだ判断をする冷静さが残っているとすれば、(「今までの蓄積が失われる」というような後ろ髪を引かれる心情が起こるかもしれませんが)「より安全サイドへ(より安全と思われる方向へ)判断し行動する(少しでも危惧のある方向へは行動しない)(臆病になれ)」ということをこれまでの災害は教えてくれているように思います。

「想定外」とよくいわれますが、神ならぬ人間の身、見落としや予想できなかった危険源は常に潜んでいる可能性があります。
事故・災害から学び、常に判断根拠(基準)の見直しを心しなければならないと思います。