横綱の相撲 小考

9月26日 秋場所は横綱は照ノ富士の優勝で終わりました。
二人の大関は精彩がありません
寂しいかぎりでした。

そして、翌日「白鵬が引退を決めたもよう」というニュースが流れました。

7月の名古屋場所での全勝優勝で引退ということになりました。
記録を残した横綱としては相応しい幕引きとなりました。

話しは名古屋場所へ戻りますが、「横綱の相撲」が話題となりました。
白鵬の横綱としての“相撲の品格”です

上記 2021年大相撲名古屋場所での白鵬の休場後の全勝優勝
年齢的には限界に近づいていると感じましたが、まだ強かったです。
動きも機敏で他を圧していました。
(他の相撲取りが弱すぎるのかもしれませんが--)

しかしこの白鵬の相撲
私は、好きではありませんでした。
(相撲取りは人気商売の面もあり、このような表現を用いることも許されるかと思い、敢えてキツイ言葉を使わせていただきます。)
・エルボー(顔面へのかちあげ)
・立会いのじらし(なかなか立たない)
・そしてグッと後ろに下がった立会い(一種の奇襲)
今までの横綱の相撲としてはなかったように思います。

相撲は、国技でもあり、伝統が重んじられる(その精神性が重んじられる)と認識していましたが---
しかし、仕切り前のじらしに行事も審判員もクレームを付けません!?

その昔、仕切りのきれいな(きっぱりした)北の洋という相撲取りがいたことを思い出します。
Wikipediaによりますと
「左足を置いてから添えた右足を横一文字に引く颯爽とした仕切りは、相手に丁寧に合わせることから待ったをほとんどせず、土俵態度として立派だった」とあります

加えて、勝ったときの“どや顔”
武道では敗者への配意も考え、粛々と勝ち名乗りを受けるということが礼儀とも言われますが---

千秋楽翌日のラジオで、(白鵬の優勝には)「何かもやもやが残った」というような意見も出ておりました。
そして、それについての共感の声もありました。
 ・横綱の品格を落とす
 ・記録を残したが相撲の品格を落とした横綱
 ・看板の相撲取りだから、周りは何も言えない(注意できない)!
というような声も聞かれます

しかし、考えてみますと、上に挙げたようなことはルール違反にはなっていません。
(相撲界での暗黙知としての規範においては問題とは思いますが--)

白鵬本人は「勝てばよい」「記録を伸ばせばよい」の考えだろうし、文化の違う国で育ったのだからやむを得ない面も感じます。

要は、国技?としての相撲の精神をどのように残していくか、これは相撲協会をはじめ関係者の方々が一番思われていることだと思いますが、それについての表だった動きはないようです。

千秋楽、照ノ富士は、白鵬のエルボー、じらし等の仕掛けを受けて立ちました(張り手で向きになった面もありましたが--)。
かえって正攻法の光るモノを感じました。

国技として残すならば、天覧に供するのなら、そして国際化ということも考えるなら
今までのような親方による指導等(或いは暗黙知)によるのではなく
横綱理念憲章のような明文化したモノをつくる必要があるのではとも思います。

9月場所、どのように展開するかを見てみようと思っていましたが
コロナにより宮城野部屋は全員休場!
そして、27日の引退表明。

横綱は照ノ富士ひとりとなりました。
その照ノ富士
横綱昇進後の初の場所となる9月場所を前にした8月30日の会見で
「横綱の品格」について問われて
「自分の生き方で証明していきたい」と応えていました。
今後どのように証明してくれるのか楽しみですが、その言葉の裏には親方はじめ周りの方々の導きを感じます。