“安全文化” について ①

三菱自動車の燃費データ不正問題!

まさか!(またか!)
数年前のリコール問題の時 反省されていたはず
組織/制度は改善されているものと思っていましたが---
これが第一に思ったことでした。

当時の「三菱リコール隠し事件」について下記のようは記事がネットに残っています。
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三菱リコール隠し事件とは、2000年(平成12年)に発覚した三菱自動車工業(三菱自工)の乗用車部門およびトラック・バス部門(通称”三菱ふそう”、現在の三菱ふそうトラック・バス)による、大規模なリコール隠し事件をいう。
その後も、2004年(平成14年)にトラック・バス部門の更なるリコール隠しが発覚。
乗用車部門も再調査され、国土交通省によると、2000年(平成12年)時点の調査が不十分だったことが判明した。
これが決定打となって、三菱自工・三菱ふそうはユーザーの信頼を失い販売台数が激減、当時筆頭株主であったダイムラー・クライスラーから資本提携を打ち切られるなど、深刻な経営不振、廃業の危機に陥ることとなったが、その後三菱グループによる様々な救済を受け、廃業の危機を脱した。
※企業倫理の問題として、自動車業界とは異業種ではあるが、タイレノール殺人事件(ジョンソン・エンド・ジョンソン製品への毒物混入事件)における迅速な対応などと対比されることもある。
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企業体質を変えるということは、「経営における非常に難しい課題」ということは言われています。
三菱自動車という「三菱」という名を冠した、中小企業からみると多くの人材が集まる大企業においてすら成し難い課題ということでしょうか。
否、むしろ大きな組織だからこそ、染みついた体質は変え難いのか?
中小企業、特に小企業においては経営トップに真の反省と強い意思があれば、方向転換は容易?!
--いろいろ考えられます。

三菱自動車の下請への厳しい値引き交渉、或いは下請単価値下げとは別の“一時金”の要求という話も聞こえてきます。
あの優良企業であったシャープにしても、“強引な値引き押しつけ(下請いじめ)”は業界の通常を越えて厳しかったようです。
経営が難しくなると、そのような“厳しさ”に傾くことは理解できますが、それにも限度というものがあると思います。
その“限度を越えた意見”が社内で大きくなってくると、それがその会社の正当性となります。
そのようなことを本心では望まない経営陣もいたでしょうが、他の策も出ず、大勢に押し切られてしまう。
一方、下請の立場の人たちは、この“限度を超えた厳しさ”を受け、自社の方向転換を真剣に模索していたかもしれません。


この“経営における核心”ともいうべき企業文化というテーマについて、簡単には深入りはできるものではありませんが、いろいろと思いはあります。

「企業文化」は長い年月をかけてできあがるものです。
その本質は過去からの経営の心の蓄積(積分)にあります。

当筆が関係する分野では「安全文化」という言葉があります。
この安全文化は企業文化の一部として考えられますが、同質性を多分に持っています。
そして、過去において、この安全文化の定着に苦心された先輩たちは大勢います。
その先輩達がその定着育成に如何に苦心されたのか、その提言を探ってみたいと思います。

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長年企業の安全活動に携わられたある先輩は言われます。
「長年やってきて感じることは、“安全”だけが特別のものではなく、企業風土そのものであるという持論に至った」と。
--「安全は企業風土そのもの」ということ、安全活動は“企業の持つ体質”に根ざすということです。
そして、さらに次のように言われます。

「現実においては、寿命が短い企業が多い中において、安全文化を形成していくのは難題である」
「長い経験の中で、人を大事にする精神を持っている会社が生き残れるという実感を持つようになった」
--つまり、「安全文化(企業文化)を形成するには長い時間が必要あり、それを成し得るのは、生き残ることのできる“人を大事にする精神を持つ会社”である」ということです。

そして、「一人ひとりが納得して取り組める具体的な活動」の大切さを説かれます。
--つまり、「一人ひとりが本心から動くことのできる納得性が企業活動のベースになっている」ということです。

ともすれば安全活動は、うわべだけのその場しのぎの形式的な活動で終わりがちですが、それでは実効は得られない、会社活動のベースである“働く人たちの納得性”へは届かないということです。
それは、「ホンネで話し合える職場の形成、そのような方向への経営が企業活力の源泉」であるとの示唆であると思います。
“心の部分/考え方の部分”に入り込まなければ、企業活力の源は得られないということです。
そしてそれは「納得性のある考え方」であることが必要があるということです。
そしてそれは、リーダーシップ(経営者の心:本音)に及んでいきます。

安全といっても、日常の活動においては目の前の生産に気が行きがちなのも事実ですし、ましてや最近のように労働災害自体が減ってきている中での事業活動として安全だけを特別扱いできないのも事実だと思います。
しかし「人を大切にする」という観点で見直しますと、それは企業活動における土台となる経営の本質部分に入り込んでしまします。

長くなりますので次回も、企業の現場における安全文化の形成という視点で、ある先輩の提言を検討してみたいと思います。

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