今年(2018)の2月、南海トラフ地震の今後30年における発生可能性が70%から80%に引き上げられました。
今まで、“人ごと的”に公共機関等から発せられる防災関係の情報を受け取っていたのですが、「この“災害”に向き合わねば--」と思うようになりました。
世間から見れば、「何を今更、遅い!」となりましょう。
(阪神淡路大震災で震度4の揺れを経験し、東日本大震災であれほどの情報を受けながら、そしてそれらを上回ると想定される南海トラフ地震の大被害想定地域に居ながらこの始末です!)
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前月につづき、震災以前から釜石市の防災指導に当たられていた片田敏孝先生(群馬大学「広域首都圏防災研究センター」センター長)の「東日本大震災における釜石の小中学生を中心とした津波避難の記録」を参考とさせていただきたいと思います。
【最善を尽くせ!】
(片田先生は生徒達に言っていました)
いかなる状況下においても最善を尽くせ!
この次に来る津波がどのようなものかは分からない。
しかし、どのような状況下においても、君にできることは最善を尽くすこと以外にない。
最善を尽くせ。
しかし、それでも君は死ぬかもしれない。
でも、それは仕方がない。
なぜならば、最善というのは、それ以上の対応ができないということだ。
それ以上のことができないから、最善というんだ。
精いっぱいやることをやっても、その君の力をしのぐような大きな自然の力があれば、死んでしまう。
それが自然の摂理なんだ。
資料を配っておいて「信じるな」
「頑張っても死ぬかもしれない」
(これを聞いている)先生方は首をかしげた!
でも、自信を持って「間違いない」と思っている。 ★
なぜなら、釜石の子供たちの行動が、それを示してくれたから。
【想定にとらわれるな、最善を尽くせ】
『釜石の子供たちがとってくれた行動は、これまでの言ってきた原則が決して間違っていなかったことを、はからずも証明してくれたように思っています。』と片田先生は言われています。
先生が子供たちに言われた内容に、涙が出ます。
『最善を尽くせ
しかし、それでも君は死ぬかもしれない
でも、それは仕方がない
それをしのぐ自然の力がくれば、それを受け容れるしかないのだ
それが自然の摂理なんだ』
生徒に「死」ということを正面から言うこと自体
現在の教育では憚られることかもしれません。
一部の父兄からはクレームがつくかもしれません。
しかし、このようなことは
以前から家庭内で祖父母等から教えられてきたことであり
また家族の死に際して学んできたことです。
先生のこの言葉は、人間が置かれている(自然界に対しての)厳しい現実を直視する機会が少なくなっていることへの再確認の警鐘として受けとめるべき内容だと思います。
これを正面から知らせてくれる人が少なくなっています。
防災とはこの自然の摂理との対峙という宗教性を帯びた一面もあることを改めて認識させられます。
<次月に続きます>