今年(2021)2月2日の松田政策研究所のYouTubeに
松田学氏が、新型コロナウイルス対応に関連して、
「日本人特有の“ゼロリスク神話”」による過剰反応について語られていました。
「ゼロコロナ」という言葉を使う政治家がいる。
- これは政治家の言としては大いに問題のある発言であり、もっと勉強して欲しいということ。
少なくとも政治家として政策を練る立場の者の言としては勉強していないに等しいということ。 - 「ウイルスは常に存在し、ゼロには出来ない」という現実を冷静に見る必要があるということ。
そして、「この新型コロナウイルスに対応するには、個々人の免疫力を高めることがポイント」ということを主張をされていました。
精神論で心の方向性を語る時には「絶対に」とか「完全に」とかいう言葉を使うことがありますが、対応当事者としては適した言葉ではないことは多くの人は認識しています。
安全管理においても「絶対安全はあり得ない」「リスクゼロはない」という考えを基にして、リスクアセスメント展開をしています。
リスクをゼロには出来ないのなら、安全度合いを正確に捉えて、リスクを許容し得るレベルまで下げる活動をしていこうという思考です。
そのためには、現実をしっかりと把握しよう(リスクを洗い出そう)ということです。
「○○のような事故・災害は絶対に起こしてはならない」という言葉を上司が発したとしたら、それから先、上がってくる情報はかなり着色されたものになってくる可能性が大きくなります。
状況を早く知るために、「Bad News Fast(First)」を徹底し、その内容については叱らない、(しかし報告が遅れれば叱る)ということを徹底している経営者もいます。
着色無しの現実を早く捉えようということで、経営者が率先して、そのようなリスク対応文化をつくっています。
そうしなければ、時機を失することなく対応策を打ち得ないということです。
精神論として「絶対に」とか「完全に」とかいう言葉を使う場合はともかくとして、現実の実務に対応する者としては、根拠の薄い言葉で誘導しようとせず、精確にリスクを把握して、対応策を練っていかなければならないとの松田先生の言葉に同意賛同したしだいです。
決意を表明するときの「絶対感」を示す言葉が、現実の対応・運営において、ストレートに用いられるような場面には注意したいと思います。