安全管理において決定的に重要なポイントである「経営者の意志」
「経営は経営者により百人百様」と言われます。
この「百人百様」の自由度が、経済活力の推進役ともなると思いますが、半面、(社会的に)意味(意義)のある内容であっても、「経営者の意向に沿わない活動は衰退していく」面も持っています。
また、「経営者の真意を労働者には見抜いている」とも言われます。
「皆の前では表向きこのように言っているけど--その真意は--?!」ということです。
「幸福優位性7つの法則」という本の中に、面白い記事がありました。
「“てことその支点”を使って天職を見つける」
という項目の中に
何百人ものあらゆる業種の労働者を面接して、仕事に対する姿勢、つまりマインドセットには、三種類あるという結論に達した。
それは「勤め」「専門職」「天から与えられた使命」という三種類の捉え方である。
- 「勤め」だという人にとって、仕事は単に作業であり、給料はそれに対する報酬である。
働かなければならないから働いているのであって、いつも次の休みの日を心待ちにしている。 - 「専門職と考えている人は、必要だから働くというだけでなく、技能を高めてさらに成功したいと考えている。
仕事に時間やエネルギーを投じ、よい仕事をしたいと思っている。 - また、「天から与えられた使命」と思っている人にとっては、仕事そのものが目標である。
報酬が得られるからではなく、その仕事が世の中のためになり、自分の強みを生かすことができ、仕事に意味や目的が感じられることで満足感を得る。
とあります。
同様のことは、イソップ寓話の「3人のレンガ職人」等で多くの人により語られています。
「行動レベル」「目的レベル」「意味(意義)レベル」というような捉え方もされます。
これは労働者について尋ねた調査ですが、経営者についても同じことが言えそうです。
経営トップによりその職場の価値観(仕事観)も大きく異なります。
事故が起きると、しばらくの間は、緊張感が持続します。
しかし、安全やトラブルがない状態が続くと、人は危険に関する警戒心をつい解いてしまいます。
これはある意味仕方のないことかもしれませんが、だからこそ危機感を強制的に持続する努力が必要になってきます。
それは坂道を上るたとえにもされますが 日々の認識と目に見えない努力が求められます。
そしてそこには「迂回利益の法則」或いは「ハーズバーグの衛生理論」等の理由付けもなされています。
また、事業の実態が安全軽視にならないために法規制があます。
労働安全衛生法では「事業者は--」という文言で、経営トップの責任を明確にしています。
国際規格であるISO45001においても、その附属書A.5.1に
『組織の労働安全衛生マネジメントシステムを支える文化は、トップマネジメントによって概ね決定される』と明記されています。
では 経営トップはどう判断すればよいのか?
一つのヒントを中村昌允先生がその著書「安全工学の考え方と実践」の中で示されています。
- 経営トップの安全に対する考え方・取り組み方が、現場の安全実績に直結している。
- 事故を起こした会社の経営トップの記者会見ではたいがい、「あってはならないことが起きてしまい申し訳ない」、「私の日頃から安全に対する思いが、組織の中に浸透していなかった」という釈明の後、「『安全第一』を再徹底し、安全確保に全力を傾け、社会からの信頼を回復する」という決意が表明される。
この一連の言葉には下記の問題点がある。
①「あってはならない」という言葉の裏に、「あってはならないこと=起きないこと」と事故発生時点まで考えていたことを物語っている。
これは企業のリスク対策が十分でなかったことを露呈している。
安全確保及びリスクマネジメントは、「事故や災害は条件次第で起こり得る」という現実を直視することから始めなければならない。
②組織内に『安全第一』が徹底していないのは、トップが自ら率先して安全活動を実践しておらず、従業員はトップの本音が『利益の確保』であるという経営姿勢を見抜いているからである。 - これからの日本の安全管理は、従来のように作業者が優秀であることを前提にするのではなく、「作業者は過ちを犯し、機械は壊れる」ことを前提にして取り組む必要がある。
つまり、従来のボトムアップ型の安全管理から、経営トップが先頭に立って、リーダーシップを発揮して安全活動を積極的に推進することが求められる。
また、下記のようなことでは現場担当者は困ります。
・日常は安全管理に関与しないで、場当たり的に(或いは 思いつきで)指示を出す経営者
・(上司によって)ころころ変わる安全管理に関する指示
組織の中の安全管理は論理的に進めていくことを前提する必要があります。
経営者の意志が組織の安全文化を生む原動力です。
最近起きた静岡の「バス幼児置き去り事故」における数次に連なった管理上のミスを考えたとき、その根源に向かわざるを得ない思い(要求心)から強い言葉となってしまいます。