NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で北条時房役の瀬戸康史さんが、早朝のラジオで、時房について語られていました。
「時房はモノクロをカラーにする存在」
ますます殺伐となっていく物語にあって、時房の存在をそのように評されていました。
義時をサポートし、また義時と泰時の親子間の調整役的をこなし、そして義時死後、泰時をバックアップする存在であったようです。
泰時とはライバル関係(緊張関係)にあったということも言われていますが、トップの補佐としてナンバー・ツーの良い人生を送ったように思われます。
※「政子の支援を受けて、執権への執着もあった」というようなことも言われていますが----
瀬戸さんの言われた「モノクロをカラーにする存在」ということで、思い出しました。
「殺伐とした」ということでは、周りがモノクロに見えた経験があります。
自分の属していた組織の印象が、無色に感じてしまった経験です。
今までカラーに見えていた(感じていた)風景が、モノクロ(無色)に変わりました。
今まで努力を傾注していた組織が遠のいた感覚です。
同じような経験をされた方もおられると思いますが、まさにモノクロの感覚だったことを覚えています。
「モノクロ」というと、横山秀夫氏の推理小説に「モノクロームの反転」があります。
決め込んでいた色が実は違う色であったということで、このケースとは異なりますが、同じものも全く違うように感じ得る(見え得る)ということです。
世界がモノクロの様を呈しているように感じられます。
もし、それに色(生気)を与え得るとしたら--?
その「方向は?」、「存在は?」--と考えたりもします。
【我田引水】
現場環境が厳しいモノクロを呈しているとしたら、そこに淡いかもしれないがカラーを与える「“知恵”とは?」「“存在”とは?」---
“安全の知恵”も「淡い色気の存在」になり得るのかも--?!