都合のよい解釈

YouTube「兵庫・姫路の工務店モリシタ・アット・ホーム」
住宅建築についていろいろな角度から話題を取り上げて解説されています。
投稿されている森下さんの誠実な人柄がにじみ出ていて、親しみを感じ、時々アクセスさせていただいています。

そのなかで
「兼好法師の格言『家のつくりようは夏をもって旨とすべし』を私なりに解説します」
という内容のビデオがありました。
森下さんはその中で、建築の専門家としてのお立場で、この吉田兼好の徒然草のなかの「家つくり 夏を旨とする」という言葉について語られています。

家は夏をもとに最適化せよというような意味ですが、この言葉を重要視する人が結構おられるとのことです。
当筆も「夏を旨とするのか--なるほど」という感を持っていましたがーー

「家は風通しがよくないとダメ」
しかし 風通しをよくしたら夏は過ごしやすいのか?
現在は温暖化で気温も相当高くなってきている。
湿度も含め亜熱帯化してきている。
そのような状況下で、風通しをよくし外から外気を入れるようにしても、それで涼しくなるのか?
というと、結構難しい。
おまけに住居密集地ではクーラーの室外機の熱風を受けるようなこともある。
田舎の一軒家のような田んぼの中の家でも、周囲の熱気で窓開けて風入れたら気分が悪くなるようなこともある。

兼好さんは当時の問題として、風通しの他に、カビ、腐り、伝染病予防等のことも言っているのではないか?
兼好さんの意としたところを受け取るとしたら、風通しでなく、日除け(軒)等を考えるのがよいのでは--?

と森下さんは語られ、「よしず」「すだれ」「ひさし」「グリーンカーテン」、そしてエアコン、日除け、日射遮蔽の話しにつなげられています

そして、現在の気候風土の変化、技術の状況を踏まえて、吉田兼好の合理性、その時代での住居価値の判断等々、吉田兼好の「意」を推察することについて述べられています。

この「家づくりは 夏を旨とする」という言葉の引用について
この言葉を使う人は、吉田兼好の時代を背景にしたその言葉の意味を考えないで、この言葉だけ都合よく引用していないか?
という指摘をされています。

同感し、納得します。
「自分の都合のよい(用いやすい)箇所だけを引用する」
センセーショナルな報道も含めて、このようなことはよくあると思うのですが、現場に行ってみたら(現地・現実・現物を見たら)、思っていたこととは違っていたというようなことも起こります。

誰しも自分の都合に合わせて考え行動するのは人間の常(性)ですが、それを周囲に向けるときには、できれば深耕のうえでの言葉でありたいと当筆も自省しました。

以上 当たり前のことだと言われそうな内容ですが、森下さんの誠実な説明を聞いていてふと感じた次第です。