ある先輩から藤原ていさんから届いたというハガキを見せていただきました。
最初誰だか戸惑いました。
その先輩の説明によりますと、小説家新田次郎さんの奥様で、作家として満州からの引き上げ体験等の本を書かれているとのこと。
著作の「流れる星は生きている」を読んで、その重さに引き込まれていきました。
日本の敗戦が決定的となった昭和20年の8月9日、満州の新京におられたときの出来事から始まっています。
そして、厳しい逆境の中、3人の子供を伴っての脱出行。
窮状における人の本性・本音に近い部分をご自分の本心も含めて飾らず綴られています。
食糧の無い苦しみ、母親として子供を何としても守るという堅い決意と行動。
特に子供のことが綴られている節では涙する箇所が多くありました。
そして遂に、38度線を突破し開城に着き、アメリカ軍に救助される---読む方としてもひと息つきました。
生活の場、引いては国家が安定していることの大切さを改めて感じさせられました。
イラン・イラク戦争を幼いときに経験し、その後孤児となって苦労された体験を持つサヘル・ローズさんが、「日本人は平和ボケしている」と苦言を呈されていますが、まさにそうかも知れません。
余談ですが、当筆の義父から、若いとき北満州で仕事をしたという(辛かった)体験談を聞いたことがあります。
20歳前のことだったそうで 若いときの印象に残っている思い出を地図を傍らに聞きました。
「牡丹江」「黒竜江(アムール川)」という市や川の名前も出てきたことを記憶しています。
記録していなかったことを残念に思っています。
そして、この藤原ていさんの辿った道の地図を眺めていると、私もまた、20数年前に大連で倒れ、救急車で旧日本軍の赤十字病院であったという病院に運ばれたことを思い出しました。
(生まれて初めての救急車でした。脳に異常はなく、多分貧血であったと勝手に自己診断をしています。)
この病院の廊下には大勢の人が座っていたのを記憶しています。
(多分診察待ちをしていたのではと思います)。
日本が苦労した(苦しかった)時代の状況を教えてくれる藤原ていさんの本。
そして、今から十数年前までは、この時代(戦争の体験)に生きることの原点を置いていた人も多かったと思います。
戦後生まれの私たちは、その後の良い時代を過ごしていたのだと思います。
しかし現時の情勢を考えると、その安心も大きな転換点にさしかかっているようにも感じられます。
世界においては、戦争の勃発、専制主義の台頭 等々--。
目的地もなく避難を求めてさまよっている人達の報道も多く聞きます。
ある先生が、らせん階段を例に時代の変化のサイクル性を語られていました。
「らせん階段を上から見ると、同じ円をグルグル回っている。
そのようにして時代を上がって来ている。
同じことを、時間の経過に伴う要素を変えて、繰り返しているような面がある。」
現在は、時代のサイクルを回って、昔の円の一部を再現しているのでしょうか?
この拙いBlogも10年経ちました
らせんの小さな輪を一回りしたと考え、ひとまず毎月の記事投稿にピリオドを打ちたいと思います。
今後は、今までの10年間の記事をユックリ見直してみたいと考えています。
そして、また新たな “何か” がありましたら、随時付加していきたいとも考えています。