「愚鈍化環境」と“環境整備”の必要性

深夜に遠く電子音が聞こえてくる
外ではないらしい
起きて、その鳴る方向の部屋へ行くが 分からない!(音は止んでいる)
再度寝室へ戻り寝始めると 又聞こえてくる!
再度、その部屋へ行き、探っていると、突然鳴り出す。
電子時計から鳴っている!
ボタンを押し下げて音は止まった。

設定をし直そうとしたが、マニュアルが無い!
自分はこの時計を設定した覚えはない。
となると---思い当たる同居人は居るが、機器の設定にはいたって疎い人。
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私が枕元に置いて使っているラジカセ
深夜の放送を聞いているが、リモコンでしか操作できない。
そのリモコンは、同じ大きさのボタンが3個9列に配置されていて
真っ暗な中では指の感覚だけでは操作不能!
電源オンオフのボタンの位置だけは分かっており、特定局のみを聞いているが、それ以外のボタンの機能はマニュアルなしでは分からない!
もしも、暗い中、間違えて他のボタンを押したなら、元の設定に戻すのに苦労することになる。
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また、パソコン。
ソフトが自動で更新され、急に操作方法が変わっている!
戸惑うことこのうえない。
それに、あるソフトをダウンロードした場合、操作環境が変わってしまう場合がある!
何らそのようなことを望んでいないのだが---
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まさに我々は周りに機器、情報により無知化、愚鈍化されているのではないか?!
複雑化されて 専門化されて 更新バージョンアップ機能向上と宣伝されて購入を促されて---
専門化され複雑化されるほど 我々は相対的に愚鈍化されている!

ではどうすべきか?
環境の整備”を自主的に図っていくしかない。
「やらないこと」を決め、環境を少しずつでもシンプル化する努力を継続していくこと!

この“環境整備”という言葉は(株)武蔵野の小山昇社長がよく言われています。
(株)武蔵野では、勤務中にある一定時間を割いて、日々努力されています。
これが「経営の極意」とのことです。
私も“環境整備”を実践していかなければならないと真剣に思うのですが---
(実は筆者はこの実践が非常に難しく感じます。いつの間にか他のことを行っています。)