「“労働観”の変化」について

電通の過酷な労働文化の記事を見ていて「鬼十則」という言葉に出合いました。
その内容を見て、懐かしく感じました。
昔勤めていた会社が自社用に作ったノートのウラ表紙に書かれていた文言です。

電通はこの精神で突き進んできたのか?
今の若者にこの精神に沿う労働を具体的に現すよう強いる会社風土なのか?

当時の自分には、この「鬼十則」の内容に違和感はなかった。
ただ、そこまで頑張れば前途は開かれるのか!? 程度にしか受けとめなかった。
勤めていた会社も、それを強いることはなかった。
社員としては、社長はこのような仕事への意識を持っているのかという程度の認識であった。

因みに鬼の十則の内容についてネットで確認してみますと


単体では世界最大の広告代理店である「電通」には4代目社長吉田秀雄によって1951年につくられた電通社員、通称「電通マン」の行動規範とも言える「鬼十則」と呼ばれる非常に有名な言葉があります。いわく、

  1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
  2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
  3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
  4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
  5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
  6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
  7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
  8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
  9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
  10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
    というもの。

これは割とよく知られているのですが、その逆バージョンである電通「裏十則」というものもあったようです。


とあります。

ところで、最近の藤原直哉氏のネット放送において、藤原氏は下記のように言われています。


「若者達と会っていてその価値観の違いに驚くことがある」
「その違いは、30歳代半ばより下の人たちと、40歳代後半以上の人たちとの間で大きく異なることに驚く」

40歳代半ば以上の人たちは、「自分の“欲望”と“競争”に忠実にものごとを推し進めることが幸せへの途」と考えている。
それは、30歳代半ばより下の人たちから見ると、非常に危険な考え方に見える。
30歳代半ばより下に人たちは、競争よりも“シェア(共有、共生)”を大事にする。

面白いことに、
“競争”という人に“シェア”と言うと、途端に力が抜ける! 耐えがたく感じる!。
シェアするなら自分が頑張る必要はないじゃないか?!となってしまう。
反対に、シェアが当たり前の人に、「となりと競争」と言うと、力が抜けてしまう!
この二つの価値観の間には大きなギャップが存在している。

時代の大勢がどちらになるか?
時代の経過とともに社会の価値基準は大きく変わってくるかも知れない。


「鬼十則」が受け入れられた時代は、上り坂の頑張れ頑張れで済む時代であったのかもしれません。
シェアに対する感覚など若者の方が健全な判断をしているのかも知れません。
若者の価値観は、先の見えない時代の知恵なのかもしれません。

博多駅前の道路陥没事故の映像を見て、これが日本での出来事か?と一瞬思いました。
次に、日本は現場力においても発展途上国並になったのか?と考えました。
老朽化を考えずに、ただ突っ走ってきた結果?

時代は大きく変わっています。
自己の価値基準においても、反省と転換が求められているように感じられます。

 

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