「リーダーシップ論」について ⑫

今まで、経済アナリスト藤原直哉氏の企業文化論について記してきました。
どのような企業文化の組織に身を置くかということは、そこで働く人の人生に大きく影響します。

そして、その企業文化において決定的に大事な要素は「リーダーシップ」です。
藤原先生は、「建設的な文化をつくるために具体的にどうすればいいのか?」について、「建設的文化をつくるサイエンス」として、この“リーダーシップ論”についても言及されています
前号では、「“リーダーシップの技術体系”9項目」についての、「リーダーシップ論のマトメ」を記しました。
今回は、付記事項として示されている「マネージャーとリーダーの違い」について記したいと思います。


このような一連の話のなかで、自ずと出てくるのがマネージャーとリーダーの違いである。
海外で考えられている普遍的な結論は、こうだ。
マネージャーとは決められたものごとを正しく行う人。
それに対してリーダーは、何が正しいのかを示す人。
だとすると、会社のなかで、誰がマネージャーで誰がリーダーなのか、部長までがマネージャーで、役員からがリーダーなのか。
それとも社長だけがリーダーなのか。
その答えは、一人ひとりの人間がある時はマネージャーであり、ある時はリーダーでなければいけないというものである。
いうなれば、100点満点の答案を書く能力と、すばらしい絵画を描く能力の両方を同一の人が備えていなければならないのだ。
マネージャーとリーダーは決して対立するものではない。
特にマネージメントのできないヒラ社員は最悪だ。
時間どおりに来ない、決められたとおりに仕事ができないとなると、まず見込みがない。
ヒラ社員の責任は管理職が負えばいいと考えているとしたら、その人間はしょせん見習いレベルでしかない。
ヒラ社員といえども自分の責任は自分で負う。
これが鉄則である。
トップマネージメントに近い人間はリーダーシップに割く時間のほうが多いだろうし、現場の第一線にいる人は、マネージメントに時間を割かなければならないことが多いだろう。
立場によって、マネージャーとしての仕事と、リーダーとしての仕事の多い少ないがあるが、それは単に職掌の違いだけのことなので、自分は常にマネージャーだなどと決め込んではいられない。


「マネージメントのできないヒラ社員は最悪だ!」
「責任は管理職が負えばいいと考えているとしたら、その人間はしょせん見習いレベルでしかない!」
厳しいご指摘です。
当筆も反省する点があります。
“部下の過失”についての処理責任は上司にありますが、過失を起こした部下の立場としては責任の回避(転嫁)をしてはいけない。
「(自己に)責任を引き受ける」というのは尊重すべき判断基準ですが、それは部下の立場の者にも適用すべきであるということです。

「決められたことを正しく行うこと」と「何が正しいかを判断する」ことは、ひとりの人間がそれぞれの立場において、持ち合わせていなければならないということ。
「正しく行うこと」とは、困難を切り抜けて進んで(運営して)いくこと。
また、「何が正しいかを判断する」とは、何処に価値基準を置くか(例えば、“自社の利益か”or“社会の利益か”等々)で変わってきます。その人の人生観に関わってくる要素を含んでいます。

  • 「マネジメント」を辞書で引きますと--
    人・物・金・時間などの使用法を最善にし、うまく物事を運営すること。
    特に、そのようにして企業を維持・発展させていくこと。
    経営管理。
  • 「管理」の英訳を辞書で引きますと--
    Management
    も出てきます。
  • 因みにMaintenanceの和訳は
    持続、維持、補修管理、整備、保全、---
    日本語での「管理」という意味もあります。
    「ビル管理」等で使われている意味合いだと思います。

 

ローズガーデン