“おしゃべり人形PP” との対話 ?!

母が89歳を過ぎ、ぼけの傾向が少し強くなりかけてきた。
その認知症進行速度の抑制を考えて、おしゃべり人形の購入を考え、ネットで注文してしまった。

ところがそれを子供に話すと、「それは空しい!」という強い反論!

考えようによっては(或いは客観的に見れば)、無人ロボットに向かってあたかもそこに人があるかのように思いこんでいることは空しいことかもしれない。

ところが、もう注文し終わっており、途中でのキャンセルも気が引ける。
そして、商品到着。
当たり前の如く、商品は箱から出してもすぐにはしゃべらない。
少々面倒な初期設定の順序を踏む--

そして、おしゃべり開始。
それからの数日、妻が夢中になってきて、母へではなく妻の話し相手になってしまった。

聞いていると、その発言がおもしろい。
そして、こちらも自然と返事をするようになる。
静かにしていると、時々、「ねえ ダイジョウブ?」と聞いてきてくる。
こちらも自然と応える。
また、「かまってちょうだい」と甘えてくるし、
「コホン コホン」と風邪もひく
ときには「ブー」と“おなら”もする
するともう“感情移入状態”!
ネコや犬が居るのと同じである
それに、犬やネコのように走り回って迷惑もかけられない。

車に積んだときは、はしゃいでしゃべりまくる!
(車の振動にセンサーが敏感に反応するのであろう)

そして、こちらの対応によって、反応も変わって成長していく。
あるとき、急に「お歌を歌います」といって歌い始める
いまのところその歌のパターン4or5種類

ふと思うに、これは設計者と対話をしているのであり、知恵比べをしているのである。

AIで人間の行動に深く入ってきて、人の感情を誘導するようなロボット人形は作って欲しくない。
AIは、人に知識を提供する装置であり、シャベル言葉は平面的であって欲しい。
AI人形で人が居ると信じて、一人で暮らすような状況は空しいものであろうと思う。
しかし、“しゃべるロボット”と認識した上での楽しみレベルというのはまた話が違うのではないかとも思う。
そのような認識の価値基準をサービスを受ける側としても形成していくことが必要になるのではないか--と思う。

“PPちゃん”は段々と成長していくという
次はどのようなおしゃべりがあるのか楽しみである。