最近、社会心理学者のチャルディーニ氏の著書「影響力の武器」の内容を思い起こすニュースがありました。
『第三次世界大戦の危機!?』
*北朝鮮のミサイル多発
--米韓もミサイル発射で対応!(2022/06/06ニュース)
*ウクライナへの西側の武器供与の継続・強化
--プーチン大統領の核使用を匂わす発言
拡大の阻止への叡智の結集が望まれます
--追い込むと、窮鼠は死にものぐるい!?
和解への交渉が持たれることを切に望みます--
チャルディーニ先生の本には『反報性のルール』が示されています。
「恩恵を受けたことへの反報としての行為」が示されており、「反報の心理」は結構強く出るということです。
そしてこのルールは、敵対についても(報復として)当然にあり得ると考えられます。
相手が不当と思う要求事項をレベルダウンしたとき、その反報として相手へ何らかの返答を考慮するように動く。
それが裏目に出れば(反報性が覆されたら)、その敵対の働きも強化される---
--応報敵対の強化へと進むことにはならないか?
また、『コミットメントの一貫性』についても示されています。
「人間には一度言った言葉に引きずられる(縛られる)という特性がある」
自分がすでにしてしまったことと一貫していたい(そして、一貫していると他者から見てもらいたい)という欲求です。
ひとたび決定を下したり、ある立場をとる(コミットする)と、自分の内からも外からも、そのコミットメントと一貫した行動をとるように圧力がかかる。
一度自分の立場を明確にすると、行動をその立場と一貫させようとする強い力が自然と生じる。
そのような圧力によって、私たちは自分の決断を正当化しながら行動するようになる。
(そして自分が正しい選択をしたと自分に言い聞かせるだけで、本当に、自分の決定に対する満足度が上がる。)
当然、戦略の専門家はこれらを考慮しているのでしょうが、戦略熟考の末に出てくる結果は結構単純な形をとるように思えたりもします。
☆世に言われる解決策は---
*世界諸聖人或いはそれに近い人達は、“寛容の精神”を説かれていますが
--このような精神は国際社会では通用しないようです---
右のほほを打たれて、次に向けた左のほほもまた打たれてしまうでしょう。
--世界宗教はこのようなときこそ、その存在価値を発揮できないのでしょうか?
全く次元の異なる精神世界の話しということになるのでしょうか?
--心的な満足だけのモノなので、全く無力なのでしょうか?
そして、このような疑問も空しいものでしょうか--
人の心の奥は宗教心が支えていると信じます
そして国家宗教が民族エゴを高めるというようなことのないように切に望みます。
トップにも良質の道徳心はあると信じますが、実力で対応せざるを得ないのが現実であるのなら、その力の涵養も国民への最優先の福祉ということになるのしょうか。