“清掃のプロ”新津春子さん

NHK番組「プロフェッショナル仕事の流儀」2015(H.27)02/02放送「清掃のプロ」
「やさしさ」で清掃する(心を込めないと綺麗にできない!)
==清掃の“職人”であれ==

「汚れを見つけるとなぜか笑顔になるひとりの女性」として新津春子さんが紹介されていました。
そこまで徹すれば「身近な日常の清掃という仕事でも“日本一”の称号がもらえる。」という見本のような人です。
新津さんのことは、以前 ビルクリーニング全国大会で優勝したということで 放送されていて、知っていましたが、再びテレビでの出会いです。

NHKの当番組のホームページから、その仕事ぶりを引用させていただきます

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2年連続で「世界一清潔な空港」に選ばれた羽田空港。
その栄光を陰で支えるのは、日本一の称号を持つビル清掃のプロ・新津春子だ。
その技術はまさに職人技。
80種類以上の洗剤を駆使し、あらゆる困難な汚れを素早く落としていく。
だが新津の真骨頂は、目に見えない汚れをも落とすところにある。
たとえば、トイレで洗った手を乾かす乾燥機。
放置しておくと排水溝に雑菌が繁殖し悪臭となる。
そこで新津は、専用ブラシをメーカーと共同で開発、1センチ幅の排水溝を徹底して清掃する。
さらに、一見きれいに見える床にも目をこらし、かすかに舞うホコリも絶対にゆるがせにしない。
赤ちゃんやアレルギーを持つ人への影響を考えてのことだ。
使う人のことを考え抜き、手を尽くす新津は、「やさしい心で、清掃する」という信念を持っている。
「心を込めないと、きれいにできない。“どこまでできるか”常に考えることが、やさしさです」と、口癖のように言う。
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と書かれています。
誰でもできそうで、できないです。だから日本一なのでしょう。

そして、新津さんの半生に触れています。引用させていただきます

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新津の半生は険しい道のりの連続だった。
生まれは中国・瀋陽、父は第二次世界大戦のとき、旧満州に取り残された日本人残留孤児、母は中国人だった。
その境遇のため、幼い頃から壮絶ないじめを受けて育った。
日本にきてからも差別に苦しみ、就けた仕事は清掃のみ。
「自分はいったい何なのか」と悩み、誰かに存在を認められたくて、朝も夜もひたすら清掃に明け暮れた。
清掃の技能選手権で日本一に輝いたころ、心を込めて掃除するという言葉の意味が、本当に分かるようになったという。
そして行き交う人々から、「ご苦労様」「きれいですね」と声をかけられるまでになったとき、ようやく気付いた。
この清掃という仕事こそが、ずっと探していたみずからの居場所だと。
日本にきて26年、清掃を極めようとする新津の歩みは、今も決して止まることはない。
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みずからの居場所を「清掃という仕事」に見出したということです、
そして、技能選手権へと導いたひとりの上司のことが紹介されていました。
絶対に褒めない上司であったとのことですが、選手権の出場へと導き、そしてその為の訓練を課した。
新津さんはその厳しさに向かっていった。
日本一になり報告に行ったとき、その上司は「優勝するのは、分かっていましたよ」と言ったそうです。
ひと言も褒めなかった上司は、新津さんの実力を認めていた。
しかし、“プラスα”を求めていた。
「もっと心を込めなさい!」
「心に余裕がないとやさしさが出ないでしょう!」
「清掃の善し悪しを判断するのはお客さまですよ!」

“仕事への打ち込み”“本人の意気込み”があって、周囲のサポートも生きてくる!
そして、その上司が求めていたものは、単なる技量のレベルではなく、「周囲への思いやり」ということであった。
そして、新津さんはその“プラスα”をつかんだ。
技量にこの「思いやり」が真に備わって“日本一”の称号が与えられるのでしょう。

それにしても、こんなに嬉しそうに掃除に打ち込む人はいないのではないでしょうか?!
その笑顔に元気づけられます。