今年(2018)の2月、南海トラフ地震の今後30年における発生可能性が70%から80%に引き上げられました。
今まで、“人ごと的”に公共機関等から発せられる防災関係の情報を受け取っていたのですが、「この“災害”に向き合わねば--」と思うようになりました。
世間から見れば、「何を今更! 遅い!」となりましょう。
(阪神淡路大震災で震度4の揺れを経験し、東日本大震災であれほどの情報を得ながら、そしてそれらを上回ると想定される南海トラフ地震の大被害想定地域に居ながらこの始末です!)
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前月につづき、震災以前から釜石市の防災指導に当たられていた片田敏孝先生(群馬大学「広域首都圏防災研究センター」センター長)の「東日本大震災における釜石の小中学生を中心とした津波避難の記録」を参考とさせていただきたいと思います。
【避難:やっとの思いでたどり着いた「やまざき」で--】
どうにかこうにか、みんなが「やまざき」に逃げ込んだその30秒後、津波は「やまざき」の手前までやってきて、そこで瓦礫が渦を巻くことになる。
そして、この津波がさらに手前に近づいて来ている。
子供たちはクモの子を散らすように、懸命に逃げはじめる。
子供たちは、小さな子供やお年寄りと共に、さらに高台にある国道45号線沿いの石材店まで行く。
中には、小学生の手をつないで、近くの山へ駆け込んでいった中学生もいた。
本当にギリギリのところで、生き延びることができたのです。
それは、中学生が「先生、ここは危ない。次へ行こう」と言った、このひと言に始まったのです!
【やっとの思いでたどり着いた「やまざき」で見た光景】
どうにかこうにか、みんなが「やまざき」に逃げ込んだその30秒後、津波は「やまざき」の手前までやってきて、そこで瓦礫が渦を巻くことになる。
「やまざき」で見た光景(下写真)
(避難時の写真は 内閣府広報ビデオ「南海トラフ巨大地震」より引用)
写真は、子供たちが「やまざき」に避難していたときのものです。
向こうに、津波が家々を壊しながら入り込み、もやが立っている様子が写っています。
本来、海ははるか右側にあります。
そして、この津波がさらに手前に近づいて来ています。
【さらに逃げます】
この近づいてくる津波を見て、子供たちはクモの子を散らすように、懸命に逃げはじめます。
子供たちは、小さな子供やお年寄りと共に、さらに高台にある国道45号線沿いの石材店まで行く。
中には、小学生の手をつないで、近くの山へ駆け込んでいった中学生もいた。
命をかけた避難です。
子供たちが懸命に逃げる姿が目に浮かんできます。
本当にギリギリのところで、生き延びることができたのです。
【百年に一度の災害?】
そしてそれは、「ございしょの里」で中学生が発した「先生、ここは危ない。次へ行こう」のひと言が次への素早い行動のきっかけになったのです。
行政から配られていたハザードマップを信じていたら、或いは避難場所の「ございしょの里」で待機を続けていたら、この子供たちはどうなっていたのでしょう。
100年スパンでの想定災害ではなかったのです。
<次月に続きます>