雪印 失敗の法則①

2023年2月23日NHK放送の「失敗の法則 雪印 2つの事件」
この番組は経営面だけでなく、精神的な面においても多くのことを教えてくれていると思います。

雪印乳業は、1925年(大正14年)創業。
牛乳・乳飲料などの市乳事業をはじめとして、バター・チーズなどの乳食品事業や、育児品、アイスクリーム、冷凍食品、医薬品なども手掛ける、総合乳業メーカーのトップであり、グループ全体の連結売上高も1兆円を超える巨大食品グループであったそうです。
この巨大グループ企業が度重なる事件により、解体へと追いやられていったということです。

<事件経緯の概略>
  • 雪印乳業の操業から75年目の2000年6月
    被害者14,780人という戦後最大規模の集団食中毒事件を発生させる。
    事件についての情報開示の遅れ、世間への対応の拙さで非難を浴びる。
  • 2年後の2002年1月
    子会社である雪印食品で牛肉偽装事件(狂牛病の対策費用をだまし取る事件)が発覚
  • そして、雪印グループは事実上の解体へ追い込まれた。

「成るは難し潰れるは易し」と言われます。
『信用を得るには永年の歳月を要するが、これを失墜するのは実に一瞬である。』
これは1955年(昭和30年)3月、八雲工場食中毒事件発生後に、当時雪印乳業株式会社の社長であった佐藤貢氏が、「品質で失った信頼は品質で取り戻す」ことを誓い、全社員に対して発した「全社員に告ぐ」の中の言葉だそうです。

番組では、八雲事件については触れられていませんでしたが、1955年に今回話題にしている食中毒事件と同じパターンの事件があったということです。

【八雲食中毒事件】
雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件は、1955年(昭和30年)に東京都で発生した集団食中毒事件である。
原因は、学校給食に供された雪印乳業製の脱脂粉乳であった。
東京都内の学校給食で、輸入品の脱脂粉乳を日本産品に切り替えた日に発生した事件であり、日本産の乳製品の信頼性を一時的に損なう事件となった。
<経緯>
3月1日 学校給食に供された国産脱脂粉乳により、東京都の小学生1,936人が、相次いで食中毒の症状を呈した。
児童の給食の共通性から、真っ先に脱脂粉乳が疑われたが、翌3月2日、製造元の雪印乳業が因果関係を否定する会見を行った。
3月3日 東京都が脱脂粉乳から溶血性ブドウ球菌を検出。
雪印乳業は、直ちに自社製品の落ち度を認め、製品回収とともに謝罪広告の掲載や謝罪訪問を開始した。
<原因>
前年、北海道山越郡八雲町(現・二海郡八雲町)の工場内で、たまたま停電と機械故障が重なる日があった。
この際、原料乳の管理が徹底されず、長時間にわたり原料乳が加温状態にさらされたことから、溶血性ブドウ球菌が大量に増殖したと考えられている。
また、前日の原料乳が使い回されるといった杜撰な製品管理も重なり、被害が拡大したとされる。
【from Wikipedia】

<食中毒事件について番組内で指摘された事項>
  • 事故対応への遅れ(一刻を争う食中毒への対応遅れ)
    事件発生の2日後に製品の自主回収を開始
    事実の公表の遅れ(ためらいによる被害の拡大)
    --3日後(保健所報道の後)に事実を公表
  • 社内の連絡体制(危機管理体制)の不備
  • 経営者の姿勢(自社の非にトップとして真摯に向き合っていたかということ)
    社長が事件を知ったのは第一報から2日後
    記者会見で、事故の内容について聞かれて、社長は「知りません」という返事。
    --社内の連絡体制の現実露呈!
    そして、エレベーターで記者に囲まれたときの「私は寝ていないんだ」という有名になった社長の言葉
    --思考がまとまらない状況で話はできないという意味もあったのであろうが、不適切な発言と非難を受けることになった

○番組の指摘
  <失敗1>「情報が迅速にトップに届く体制が整っていなかった」

そして 北海道大樹工場で生産した脱脂粉乳が食中毒の原因とクローズアップ
その引き金となった停電事故
停電は3時間続き、工場復旧まで9時間を要した。
そしてこの間、ラインは止まり、冷却されるはずの牛乳は20~40℃の状態で放置され、毒素の細菌の増殖!
しかしその後殺菌処理されただけで、原料の一部として使用された!
毒素は熱に強いため残ったままだった!
(殺菌すれば大丈夫という誤った認識--当時の食品管理における知識としてはその程度であったらしい)
そして浮き彫りになった現場での杜撰な記録&改竄(改ざん)という事実の発覚!

○番組の指摘
  <失敗2>「衛生管理が徹底されていなかった」

上記八雲事件と瓜二つの食中毒のパターン!
会社としてのこの事件についての認識が消えていたのか?という疑問が湧いてきます。

1955年(昭和30年)3月、八雲工場食中毒事件発生後に、社長であった佐藤貢氏の発した「全社員に告ぐ」は毎年入社式で配布されてきたが、1986年に配布が打ち切られているとのこと!
from樋口晴彦氏「組織の失敗学」

会社としての再建への対策として下記が実施された
『危機管理の連絡体制の改善』
--社長直属の商品安全監査室、コミュニケーションセンターの設置
『衛生管理の強化』

<(更なるダメージとなった)牛肉偽装事件の発生>
  • 子会社の雪印食品が在庫処分のため輸入牛肉を国産と偽り交付金を不正に受け取っていた事件
  • そして、雪印の商品が店頭から消えるという事態が起きる
<識者の意見>として以下のような指摘が挙げられています
  • 初動の間違い(対応の悪さ!)
  • 危機管理体制の不備(企業内のメカニズム?)
  • 判断する基準は?(消費者か?上司か?)
  • 企業文化の責任(売上至上主義?)
  • 現場を知らない社員の存在が増えていく(会社の本質を見えない社員!)
  • 創業の理念を現代化して考える必要がある(理念の経時による喪失)

○番組の指摘
  <失敗3>「生産者や消費者から遠くなっていた」

<グループの解体>

創業者(黒澤酉蔵)の残した言葉が示されています

理想、信念が善事薄れてゆくならば、
如何に強大な国家や団体も、
遠からず崩れ去るのは
歴史の厳粛な事実である。

その後、八雲事件後の佐藤社長にも通じる真摯な反省を踏まえて、「雪印メグミルク」として再建へとつながっていきます。