「危険検出」と「安全確認」について

安全管理の考え方の一つに「危険検出型」「安全確認型」というのがあります。
そして、これを説明するのによく使われる例話として「毒キノコ図鑑」「食キノコ図鑑」があります。

山道を歩いていて、キノコを見つけたとします。
そして、そのキノコを食べようとした場合、
あなたは「毒キノコ図鑑」を参考にしますか?
それとも「食キノコ図鑑」を参考にしますか?
というのです。

--まあ、得体の知れないキノコをすぐに食べようとは普通は思わないでしょうが、食べるとして考えないとこの話は先に進みませんので、そこらの突っ込みは目をつぶってください--

毒キノコを食べると食中毒を起こします。
場合によっては命に関わる事態になるかもしれません。
慎重に判断しなければなりません。

「毒キノコ図鑑」に載っているキノコであれば、もちろん食べません。
すぐに捨てるか、或いは周囲の人達にも注意を促さなければなりません。
では、「毒キノコ図鑑」に載っていないとしたらどうしますか?

「食キノコ図鑑」に載っていれば、そのキノコがそれに該当するかをよく見極めた上で食べる(つまり料理の)準備にかかるということになりますが--。

問題は、この「毒キノコ図鑑」にも「食キノコ図鑑」にも載っていない場合ですが---
普通の感覚では、食べませんよね?!
「毒キノコ図鑑」への掲載漏れ? の懸念がありますよね?!

ここにおいて、この「毒キノコ図鑑」が危険信号、「食キノコ図鑑」が安全信号ということになります。
では、どちらにも掲載されていないキノコは「“グレーゾーン”のキノコ」ということで、「毒キノコ相当(つまり危険信号)」として取り扱おう(対応しよう)というのが「安全確認型の考え方」です。
安全と確認できないこと(つまり、グレーゾーン)は危険と見なそうという対応です。
つまり、安全信号のみに対して次の行動を取ろうということです。

この視点で日常を見てみますと---という話が次に来ます。
ところが、日常においては、これが結構危ういのです!
(人間はもともと危険検出型のようなのです)

よく「便りのないのは良い便り」ということが言われます。
これをこの「危険信号 or 安全信号」の理屈に当てはめてみますと---
「便りがないのは良い便り」というのは
「なにか用事があれば連絡してくるから(何も便りがないから安心していよう)」ということです。
「便りがない」ということは、「用事が発生していない」つまり「OK(問題がない)」ということです。
これは、「危険信号が来ていないから安全に暮らしている」というように解釈して安心しよう(していよう)ということですが、はたしてそれでいいのでしょうか(本当に安心でしょうか)? ということです。
少なくとも「何も無く元気で暮らしている」という便り(つまり安全信号)がない状態です。
便り(安全の便り)がなくて不安になりませんか? ということです。
普通なら、(病気しているのではないか等々)心配になってこちらから連絡を取ろうと考えます。
つまり、連絡がないので状況が分からない(“グレーゾーン”である)、そこで、「なにか問題がある」と考えようというのが安全管理の視点です。
--そんなこと言っていたら心配で堪らない! 何もできない!
とお叱りを受けるかもしれませんが、疑わしきは安全サイドで捉えようということです。--

このように考えますと、発信する側は、「便り」は頻繁にして、安心してもらう必要があるということになります。
つまり、定期的な連絡をして、その時点までの不安を解消してもらうということになります。
そしは、受ける側としては、定期的な連絡が来なくなれば異常ということで対応できるということです。

最近は情報ネットワークの充実で安心情報を常時発信することも可能となっています。
積極的に活用して、受け手に安心を届けるようにしたいものです。

災害時の安全確認に「安否確認サービス」があります
(情報を受ける側は)安否が確認できない場合、つまり「安否情報が登録されていない場合」は 何かあった! として対応するということになります。
これは、被災時に自分が安全であれば、いち早く安全情報を掲載して安心してもらう行動が必要であるということになります。