道徳は「より前」に行う者ほど尊い

From「道徳科学の論文⑨」

『人間の力は後に至るほど強大となるものでありますから、力をもって立つものは幾ほどもなくその光を失うのであります。』

この場合の「人間の力」とは、武力・金力等の物理的な強弱のことを指していると解されますが、
「一時期強大な人・組織も衰える--時代が変わる--よって、後の強者に制圧される。」
ということを言っておられると考えられます。
平家物語の「盛者必衰の理」の言葉が思い起こされまが、これは「人の世の常」ということでしょうか。
それぞれの権力の最盛期の比較においては別な解釈もできるでしょうが、時間(時代)の経過で考えれば、人は必ず衰えるし、団体もその繁栄の維持が難しいことを考えれば、この「盛者必衰の理」に従うことになろうということです。

しかし、これでは寂しい限りです。
「努力しても、(自分の生存中はともかく)後生の時代には衰えてしまうのでは、張り合いがありません。」

そこで、廣池博士は続けます。

『道徳は人間の力と異なりて、前に行うものほどその徳が大きいのであります。』

道徳という観点でみれば、上記の「“人間の力”の理」とは異なって、道徳を前に行う者ほどその徳が大きくなると言われています。

  • 「道徳」とは、「社会生活を営む上で、一人ひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。」と辞書等に書かれていますが、個人或いは、個人間相互、個人と社会間の関係性の標準や考え方の規準です。
    即ち、個人のレベルで考えますと、「人の行動の規準」とも言えます。
  • 「徳」とは、辞書に「身についた品性。社会的に価値のある性質。善や正義にしたがう人格的能力。広く他に影響を及ぼす望ましい態度」とあります。
    つまり「身についた“真の人間力”」とも言え、「精神性」を備えたものです。

廣池博士は、質の高い精神性を備えた道徳を、一般に言われる道徳と区別して「最高道徳」という言葉で示され、その道徳原理を世界諸聖人の道徳性に求めています。

たとえ、前に行った人の道徳が後からきた人の道徳よりも低くとも、前に行った人の道徳的価値に基づく徳は相対的に大きくなるということです。
(先行者と後者の道徳的行為の価値の大きさの比較をしているのではありません)
そして、後者の道徳性が高ければ、その後者は先行者の道徳性を顕彰する立場に立ちますから、先行者の道徳の価値は生きてくるということになります。

※ただ、(徳を死で示すというような非常特別の場合を除いては)一般的には「道徳的行為の継続」という条件は必須と考えます。

以上、「物質的価値基準」ではなく「道徳的価値基準」で見直してみることも大切であるとの教示です。