組織の経営 “まずい学” ① マニュアル

「組織行動の“まずい!!”学 どうして失敗がくりかえすのか」
と題して警察学校主任教授の樋口晴彦先生が全国産業安全大会で講演された内容について雑誌「安全と健康」誌より引用させて頂きます。

1回目は「マニュアル」や「報告書」についてのお話です。
筆者にとって思い当たる点が多々あります。
「A社N造船所で建造中の客船での火災事故」を元に話されています。
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船内では溶接作業時の熱が上階の客室に伝わって、そこに置かれていた家具や段ボールなどの可燃物に引火したという事故です。
天井面部材の「直溶接」と呼ばれる作業で、天井は厚さ5ミリの鉄板から、直溶接の熱が上階に伝導して引火したのですが、A社でもその危険性をよく認識していて、マニュアルで次のように定めていました。
①直溶接を行う場合は防災班に届け出て、その許可を受けること。
②直溶接の背面にある可燃物を運び出しておくこと。
③その背面箇所に見張り員を配置しておくこと。

これらの要件を守っていれば、火事にはならないはずなのに何故でしょうか。
実は、このマニュアルをまったく守られていなかったのです。
防災班に届け出も出さず、可燃物もそのままにして、見張り員も配置せずに直溶接を実施したために、火事が発生してしまいました。

客船は、船内が細かく区画されていて、構造が複雑です。しかも、内装には大量の可燃性資材が使われています。
A社も、そのことを認識していたからこそ、しっかりとしたマニュアルを準備していたわけです。しかし、そのマニュアルが現場で遵守されていなければ、どうにもなりません。

今回の事故に先立ち、この船内では4件の出火事故が発生していたそうです。
いずれもボヤで済んでいますが、その4件すべてが本件の事故と同じくマニュアル違反の直溶接によるものでした。溶接を行つたのは別々の作業員です。
以上のように、この客船内では火災事故が発生する危険性が顕在化していました。
しかも、その理由がマニュアル違反の溶接作業ということも明らかだつたのに、どうして火災事故を防止できなかったのでしょうか。

事故の後、A社では従業員を対象にアンケート調査を行いました。
その結果、2つのことが分かりました。

1点目は、守るべきルールやマニュアルが多過ぎるということです。
マニユアルや規則の数が増えたために、かえってマニュアル違反が蔓延していました!
増殖していくマニュアルのほとんどは、現場にとって意味がないものです。
総務部からうるさく言われたので、とにかく何でもいいから作ろうと、担当者がパソコンとにらめっこして書いた作文です。
実務ではさして必要性がないマニユアル、現場では使い物にならないマニュアルが、どんどん増えているのです。
マニユアルの中には、「どうでもいいマニュアル」と「本当に守らなければいけない重要なマニユアル」が併存している状態です。

こうなると、マニユアルの重みが関係者の間から失われていき、マニュアルを絶対に守らなければいけないという規範意識が希薄になります。
その結果、「本当に守らなければいけない重要なマニユアル」でさえも、顧みられなくなってしまいます。
そして、マニュアルはほこりまみれ、現場では勝手な運用がはびこるというわけです。

2点目は、会議や報告が多く、現場管理にあてる時間がないということです。
書類仕事は必要ですが、書類の種類や枚数が年々増えていく。
その根底にあるのは、書類をたくさん作れば作るほど、管理がしっかりできるという「思い込み」です。
書類をどんどん作らせると、それだけ現場の管理職は部下の指導にあてる時間が少なくなります。
そのために、かえつて現場管理がおろそかになるという問題が発生してしまうのです。

そしてもう一点、事故の背景として見逃せないのが、A社が置かれていた状況です。
造船業界は受注競争が激しく、一般の船舶では人件費の安い外国にはかなわないため、技術的に優位で利潤率が高い豪華客船への事業シフトでした。
A社は、国内向けの豪華客船建造の経験がありましたが、豪華客船ビジネスを軌道にのせるためには、クルーズ市場が大きい欧米に売り込まないといけませんでした。
今回の火災事故客船は、その欧米の海運会社から受注した初めてのケースだつたのです。
A社としては、このプロジェクトを成功させて、欧米の海運会社にアピールしたいと懸命でした。
その焦りが、もつと早く建造できないかという発注者側の要求に応えて、契約上はその必要がないのに、客船の引き渡し期日を予定より2カ月も早めてしまったのです。
そのため現場は大混乱になりました。
残業に次ぐ残業を繰り返しても、期日に間に合うかどうかでした。
現場に対して「何とかしろ」という指示が出ます。
そして、現場は何とかしました。
そのための手法が、マニュアル違反の直溶接です。
マニユアルどおりに作業しようとすれば、可燃物を運び出したり、見張り員を配置したりと大変に手間がかかります。
マニュアルを守らずに、どんどん直溶接してしまうのが最も効率的だつたのです。

作業員たちは何とかして上司の期待に応えようと頑張りました。
その結果、安全性を顧みないマニユアル違反の作業が繰り返されていたわけです。
こうなりますと、作業員をマニュアル違反に追い込んだ組織に、問題の本質があるということになります。
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引用が長くなりましたが、如何思われますか?
現場の作業員はけなげにも会社側の期待に応えようと頑張ります。
その結果事故が起き、現場が悪いと責任を負わされたのでは立つ瀬がありません。
事故・災害の背後には「管理の要因」が大きく影響していることが多いものです。
管理・経営の立場にある人はもっと現場の実情に思いを致すべきではないかということを改めて提示された事例です。