不慮の交通事故をきっかけとして

 


 

⻘年はひどくおびえていた。
その姿を⾒たKさんは、⾃分がかけようとする⾔葉が⻘年にとって重⼤な意味を持つように思い、責任を強く感じた。
「ケガしなかったか」という⾔葉がKさんの⼝をついて出た。
⻘年の⽗親からも⼿紙を受け取った。
「Kさんとの出会いは、決してあってはいけないことだったのですが、そのおかげで家族の会話が増えたことがうれしい」と書かれていた。
また、「事故直後、病室でKさんからかけてもらった⾔葉で、どれだけ⾃分たち家族が勇気を与えられたかわかりません」と記されていた。
事故は、Kさんと家族、⻘年とその親にも⼤きな試練だったが、その試練ゆえに多くの気づきと幸せを得ることができた。
⼈のことを思いやる⼼づかいの⼤切さを、Kさん⾃⾝も真に知ったのだった。
Kさんが後に⾔うには「相⼿を責め、恨みつらみの⼈⽣を歩んでいたかもしれません。しかし、あの時の判断は間違っていなかった。
⼤きな気づきや喜びを得て、いちばん救われたのは私です」

Kさんは重傷でした。
この話しを聞いて、「私には出来ないなーー。多分、相⼿を責めているであろう」と思いました。
Kさんが特殊に思え、⼈間的な⼤きさを感じました。
加害者によっては、叱って或いは罰する⽅が、後々その⼈のためになることもあろうかと思います。
表⾯的な判断だけで、或いは場合によっては、Kさんの対応を真似ることが適さないケースもあると思いますが、忘れられない話でした。