半世紀の時を越えた(国際間における)義務感の話

1985年にエチオピアは、世界で最も悲惨なレベルの貧困に苦しみました。
国の経済は破綻寸前で、食料供給は長期的な干ばつと内戦によって徹底的な打撃を受けていました。
何万もの民衆が病気と飢餓のために死に瀕していたのです。
こうした状況で、メキシコから5,000ドルの援助資金がこの極端に困窮した国に送られたという話を聞いても、私は別に驚かなかったと思います。

<文脈から、5,000ドルは、メキシコからではなく、困窮したエチオピアからメキシコへ送られたと解される>

今でも覚えていますが、私がそのニュースを報じた小さな新聞記事を読んで驚いたのは、援助が全く逆の方向に行われていたからです。
エチオピアの赤十字の現地職員が、その年メキシコシティで起きた地震の犠牲者を支援するために資金を送る決定を下したというのです。

私はこの件についてもっと詳しく知りたいという衝動に駆られました。
そして私の得た真相は---
エチオピアが、あらゆる面で窮乏していたにもかかわらず、メキシコに援助物資を送ったのは、1935年にイタリアの侵攻を受けた時にメキシコが援助をしてくれたお返し中だったのです。
(私:チャルディーニ)

『反報性のルール』from「影響力の武器」(ロバート・B・チャルディーニ著)

 似たような話が思い浮かびます
トルコのエルトゥール号遭難事件です。
1890年9月和歌山県串本町沖で遭難したオスマン帝国の軍艦エルトゥール号の乗組員を串本町の人たちが親身の救助支援をしました。
そしてそれから95年後---
1985年、イラン・イラク戦争時にトルコ航空機が、テヘランに取り残された200人を越える日本人を救出するために、戦火の中フライトを決行しました。