樋口晴彦氏の文献「続・なぜ、企業は不祥事を繰り返すのか」は、組織事故・トラブルについての“気づき”と“認識の深め”、そしてそれらへの判断の指標を与えていると言ってもいいと思います。
書かれている教訓的な内容をピックアップし、自戒も込めて筆者の思いを少し述べさせていただきたいと思います。
不正が発生しやすい職場
- 主流にない部署
--傍流事業であるため、経営層の関心が不足し、監督も疎かになる。 - 特殊な業務である
--知識が浅い分野に対しては誰しも口だしを控えがちとなる。 - 人事が長期配置となっている
--長期配置により担当者が業務のノウハウを事実上独占した状態となり、任せきりとなる。 - 担当者が有能である
--不正を継続するには、有能でなければできない。 - 内部牽制ができていない
--「○○に任せておけば大丈夫」という利便性を重視してしまう
身近な業務において、見直しのヒントとなる提言です。
企業文化
樋口氏の無駄な会議に対するご意見
他社で業績を上げた制度を導入しても、社内にそれを受け容れる土壌がなければ根付くことはない!
会社の体質を改善し、新しい価値観(基準)を浸透させるには、途方もない努力と少なくとも10年以上の期間を必要とする。
それをやらずに小手先の対応を繰り返しては、10年経っても相変わらず同じ問題に悩まされる!
鋭いご指摘ですが、ただ、本当にこれができるには経営層に相当な試練となるきっかけが必要なのではとも思われます。
そして、安全文化も企業文化の一部を構成しています。
悪化した風土を根本から改革することは、内部の力では進めにくい。
目指すべき方向性も自分達には見えにくいからである。
また方向が見えても、改革され、今までとは違う風土になると居心地が悪くなるため、多くの人は風土改革に抵抗しがちである。
このため、思い切った改革は外部の力を借りて行わないと先に進まないことが多い。
From「安全人間工学の理論と技術」(小松原明哲)
「適切な対応」「十分な配慮」「慎重な行動」などと言われるが---
樋口先生の言
何かにつけ「企業の社会的責任」が言われるが、現実には安全経費を出し惜しみ、事故を引き起こすケースがある。
経営理念と実務の乖離。
そのギャップを埋めるには、事故が起きたときの損害額を把握し、その半額を防止対策に割り当てるというような実利的発想がコンプライアンスを正常化する切り札になる。
「万全の」「あらゆる」「すべての」といった願望の形容詞
それよりも、現実に起こり得る「事故・災害・トラブル」を具体的に想定して、その損失額の見込み算定に基づいて安全対策費を考えるという発想。
現場の人はその経営の姿勢を見抜いているのではないかと思います。
適切な指導は絶対必要
「やかまし屋」が絶滅して、「いい人」ばかりになった企業がどのような末路を迎えるか、想像してみてほしい。
パワハラ萎縮症候群(適切な注意ができない・甘やかし・放置)に陥った企業は弱体化する。
経営者に求められる説明責任
樋口先生曰く
- とにかく日本企業では、経営者が説明責任を果たそうとせず、何かの機会にかこつけて、なし崩し的に問題を処理してしまおうとする傾向が認められる。
しかし、法的手続きの遵守が強く要請される今日では、そうした旧態依然の対応ぶりではやっていけないと覚悟して、問題に正対する姿勢が不可欠なのである。 - 人事評価の関係では、当人に面と向かって説明しづらい話しが少なくない。
だからといって、ある機会に乗じてなし崩し的に懸案を解決しようとする姿勢では、相手がフラストレーションをつのらせることは当たり前であり、法的にも許されるものではない。
説明が難しいことだからこそ、きちんと説明責任を果たさなければいけないのである。
管理的立場にある者の心しなければならない点を指摘されていますが、難題でもあります。
事前の十分な検討が必要と思います。
経営者の見識
樋口先生曰く
- 過去の企業不祥事でも、決断を先送りしたことが損害の拡大につながったケースは枚挙にいとまがない。
将来的に重大な損害が発生するリスクを認識したとしても、現時点では「可能性」にすぎない。
その「可能性」に備えて対策を実施すれば、そのための負担が現時点で発生する。
リスク管理の素人は、そうした負担を「もったいない」と感じてしまうのだ。 - たとえ対策を実行して損害を未然に防いだとしても、それを成果として認めてくれる者は少ない。
逆に「彼が大げさに騒ぎ立てるので無駄金を使った」と陰口をたたかれる。
そうなるくらいならば、「もう少し検討しよう」と先送りしたくなるのが人情というものかもしれない。 - 「巧遅は拙速にしかず」という諺のとおり、リスク管理では「拙速」の方が遙かに有効なのだ。
決断することを恐れて、「もっと情報がないと決断できない」と言い訳する輩は、そもそも上に立つ器ではないのである。
非常に厳しいご指摘ですが、組織において重要なポイントであるリーダーの見識(人財性)を鋭く指摘されています。
火事場における救助活動をするの英雄へは目が向くが、日々の防火活動を押し進めている賢者へはなかなか目がいかないという見識についての教訓にも思いが至ります。
また、これらはそのまま労働安全管理活動についても当てはまると思います。
心しなければならないご指摘だと思います
傍観者的な社員が増えた企業
樋口先生曰く
- 潜在的に潜む組織の問題となる原因の解消が進まないのは---
一つには変革への大きな負担をともなうこと。
もう一つは、突破力のある中間管理職が少なくなったこと。 - 口先で「大変だ大変だ」と繰り返すものの、どこか他人ごとのような感じで、具体的なアクションに結びつかない。
企業は、情勢の変化によって滅びるのではない。
情勢の変化に対応できないという内面問題による自滅なのだ。
同様の主旨の言葉は今までいろいろと聞いてきました。
現在のような変革期には、善良で真面目であるが日和見的な面を持つ社員が多くを占める組織においては、「茹でガエル現象」的な傾向を示す。
実戦の場をくぐり抜けてきた現場力のある社員も減ってきており、何をしていいのか分からないという面もあると思う。
(株)武蔵野の小山社長も「時代の変化は企業を待ってくれない」というような警句を言われている。
新参者は事故に遭いやすい!
樋口先生の指摘
ベテランであるかどうかに関わらず、新参者は安全管理上の大きなリスク要因となりやすい。
その原因は、十分なリスクコミュニケーションがとれない(不足する)ため!
また、現場での対応努力の問題だけでなく、コスト面でのアウトソーシングというような経営上の課題も存在する。
分かります
「コストのためにこのような契約形態になっている」という働く人の心情(心の内)。
危険な要素を抱える現場で、仕事への熱も入らない。
この労働形態が事故につながる。
受注側でも、仕事の意欲が出やすいような工夫が必要と思います。
ある繁盛店での経験ですが、
店の中に活気があり、店の人がフレンドリー!
初めて入っても、違和感がありませんでした。
何か関連性があるかもしれません。
外国企業(組織)との付き合い
樋口先生の指摘
外国企業と経済的な関係を持つとき
「どのような相手とも誠意を尽くせば分かり合えるはず」という青臭い思い込みを捨てること。
いままでの「技術供与」或いは「技術研修生受け容れ」における日本企業の甘さを指摘されています。
「騙す方が悪い」のではなく、「騙される方が悪い」という価値観。
甘い言葉・利益供与で入り込んでくる相手も必死なのであり、こちらに“平和ボケ”のないようにしなければならないということだと思います。
利益と引き換えに信用を無くしている!
樋口先生の指摘
「ゴーイングコンサーン」に立脚すれば、長期的に利益を獲得し続けることが企業経営の基本となる。
かつて昭和の頃には、「米国の経営者は短期的視点しか持っておらず、株価ばかり気にしている。それに対して日本の経営者は長期的視点に立って企業を育てている」とよく聞かされたものだ。
しかし現代はどうだろうか。
先輩方が築いてくれた「無形の財産」に胡坐(あぐら)をかき、それを切り売りして当期の業績を取り繕っているのではないだろうか。
短期的業績をかさ上げするために、長年積み上げてきた「無形の財産」を犠牲にするごとき愚行がまかり通っている。
上記指摘の言葉はイタイ!
そのように感じるのは筆者だけであろうか
当方の経験した分野では、省エネ対応で細かな部分に必要以上に(?)こだわり、或いは自社利益確保のために下請けに無理を重ねて強いていた。
---絞った雑巾をさらに絞っていた感がある
(やむなくの感もするが---)
“湧き出るモノ(源泉)”がなかった?!
--再びの揺籃の生気を期待したいところである!
(これは、良き成長期を知っているための誤解・誤認なのか?)---
イノベーター(革新者)を粗末にするな
樋口先生の指摘
経営者がイノベーションを欲するならば、イノベーターを背後から支えてやらないといけない。
そうしなければ、社内での孤立に耐えられなくなったイノベーターは社外に脱出し、残るのはルーティーンをこなすだけの凡人ばかりとなる。
中小企業においては、経営者の意向が強く反映されるため、理解と熱意のある経営者の下でのみイノベーションは成し遂げられると思われます。
ルーティーンを請け負っている中小企業においては、社内にそのような発想は存在せず、もしあるとすれば、社外からの圧力的な要因による場合かもしれません。
日々の業務をこなすのがやっとの中小企業にとっては致し方ないことかもしれません。
しかし、小さな改善・改革の種は存在しているはずです。
教訓を歪曲する経営者
樋口先生の指摘
不祥事は企業側に大きなダメージを与えるが、起きてしまったことはどうしようもない。
問題はその後どうするかだ。
不祥事の反省を後々まで伝承できれば、将来の不祥事を未然に防止することが可能となる。
不祥事を『財産』として活かせるかどうかは、経営者の見識(強い覚悟)にかかっているのである。
これも厳しいご指摘です。
「自分の都合のよい言葉で事実を歪曲して表現しようとする」
誰もこのような心の傾向はあると思います。
(“自我”と呼ばれるものです)
しかし、それを自覚して、自分の心を反省できるだけの器量(見識)が求められるのが経営者ということでしょうか。
労災事故等が起きた時、企業はその安全対策に熱心に取り組みます。
しかし、1年2年~数年と時間が経つにつれて、その取り組みは段段と低調となり、やがて元の状態に戻ってしまう--という例が多くあります。
社員も時間の経過とともに入れ替わり、事故当時いた人も段段と少なくなっていきます。
そのような状況下、次代を受け継いだ経営者が、災害当時の活動の真意を正しく受け継いで、社員に伝え・指導していくことができるかどうか--
安全管理のための仕組みはいろいろと用意され、また法規制としても定められていますが、最後は経営者の見識・力量によるということでしょうか--
(自己にも反省です)
樋口先生は、不祥事の教訓をきちんと引き継ぐためのポイントとして、「形にして残すこと」「(反省の念とともに)オープンに語ること」について、二つの企業を例にして挙げておられます。
調整型リーダーの限界
樋口先生の指摘
社内に敵を作らない「総務部長型」のリーダーは、集団の和を保つ面では優れていても、真の改革者とはいえない。
グローバル競争という嵐の中では、「フォワード型」の強いリーダーに舵取りを任せなければ、会社が沈没してしまうとの危機感を持つべきである。
(和を以て尊しとなす)調整型リーダーが選任されているが--
総務課長としては最高でも--というご指摘です。
このようなリーダーは、世論や社会情勢の変化に敏感で、それによりトップとしての重圧から逃れようとしている。
これまでの蓄積で当面はやっていけるため、危機感が高まらない!。
--「過去の遺産でしのいでいる」ということ。
さらにコロナ危機のような事態が重なると、その現実に強く直面していくことになりなす。
グローバル競争の渦に巻き込まれた現代は、強いリーダーが求められている。
今の時代に必要なのは、周囲の評価に振り回されずに、自らの価値を創り出すことである。
鋭いご指摘だと思います。
しかしその創造的展開は容易ではない。
そのようなリーダーを待望!
安全管理は基本的に守備型です。
--これは[Safety-Ⅰ](管理重視の安全活動展開)徹底のマイナス面?
[Safety-Ⅰ]は安全管理のベースであるが、上記指摘はフォワード型のリスク低減対策展開かできないかという今後の課題を示唆されているとも解釈されます。
真の意味の「効率」とは
工作機械メーカーの(株)エーワンの「短納期」「設備も従業員も稼働率7割」による、「製造の効率性」でなく「顧客の求める便益=付加価値の効率性」の経営を引用されて、「部分適合は必ずしも全体最適とはならない」ということを示されています。
また、
- デジタル化した方が「効率的」なところはデジタル化、アナログの方が「効率的」なところはアナログ
- 「効率性」について検討を深め、製品の最終検査の省略
- 間接部門の経費を抑える
- 不況期には「無理に仕事をとらなくてもよい。不況の間に力を蓄えよ」
--不況期こそ設備投資や人材採用のチャンス(真の競争力を培うチャンス)
等の例も示され、創業者である梅原勝彦氏の経営をまとめられています。
まさに練り抜かれた経営戦略!
かといって、従業員のことにおいてはウェット!
(株)武蔵野を連想させるような経営です。
真の意味の“効率”とは?
何を価値基準、判断基準にするのか?
深い意味のある問いかけです。
教えられ、反省もさせられる項目です。