組織事故・トラブルのメカニズム ③-3

樋口晴彦氏の文献「組織の失敗学」(中災防新書)は、組織事故・トラブルについての“気づき”と“認識の深め”のための非常によい教材を示してくださっています。
書かれている教訓的な内容をピックアップし、自戒も込めて筆者の思いを少し述べさせていただきたいと思います。
<現場管理の落とし穴>

「安全」のアウトソーシング

<第二の御巣鷹山事故を防ぐには>

(航空運輸業界)グローバル化の進む時代では、コストの安い海外へのアウトソーシングが進むのは当たり前と感じるかもしれない。
しかし、機体整備は非常に高度化・複雑化しているため、発注者側がその品質を事後的にチェックすることは容易ではない。

実際問題としても、国内と比較して海外整備業者の実力が落ちることは否めず、現場ではトラブルが続出しているようだ。

航空会社は、海外への整備委託を進める一方で、国内では団塊世代の大量退職に合わせて自前の整備員の数を減らしてきた。
その結果、人手不足で整備部門はとにかく繁忙となり、一機一機に時間をかける余裕がなくなってしまったのだ。
特に負担が大きい管理者クラスは、若手整備員を現場で教育する時間を確保することさえ難しくなっているという。

さらに、航空会社ないにおける整備部門の立場が相対的に弱くなっていることも問題である。
整備員の間には「自分たちが安全を守っている」という気概が受け継がれているものの、ともすれば「運航部門の要求通りに定時出発を確保しないと」というプレッシャーに流されそうになるらしい。

「安全はタダでは買えません。我が社は安全確保のためにメンテナンスに十分な経費をかけているので、航空運賃を他社よりも高く設定しています」「当社の航空機は、国内整備率が○○%に達しています。ご家族のために安全を何よりも大切と考えるお客様は当社をご利用ください」とアピールすればよい。
つまり、整備部門をコストと考えるのではなく、航空業界の中で自らを差別化するための「武器」として利用するのである。

顧客に対して安全を真剣に訴える航空会社が出てくることを期待したいものだ。

10年前(2010年)に執筆されたものです。
今の状況にそのまま当てはまるかどうかは分かりませんが、昨今の企業不祥事報道を考えますと、現状の現場においても?マークが付くのではとも思われます。

これは、航空運輸業界だけの話しではないはずです。
現場の人手不足による70歳までの高齢者雇用延長もその場しのぎ感がします。
その先はどうするのでしょうか?

専門業者に依頼すれば、一次(一時)的な責任は免れるという「リスク移転」の方策も出てきますが、最終的には(社会的にも)発注者責任となります。

営利面に力が傾注され、メンテナンスは後回し!
経営トップがそのような価値観!

経営環境が厳しい中、コロナ禍による追い打ちも加わった状況ですが、事業の基本は失わないことが大切です。
樋口先生の言われるように「安全」「メンテナンス」を武器に再構築を図るという戦略もあるはずです。

また、下請け組織においても、オーナーサイドの意向最優先となりがちですが、下請け組織も技術研鑽により、安全面等で独自提案ができて、オーナーサイドがそれを理解してくれるというような関係が構築できれば経営環境のステップをひとつ上がることができると思うのですが---

日常に潜むリスク

<鉄道の危機管理上の課題>

危機管理の現場では、ただでさえ人手が不足しがちである。
それなのに鉄道会社の場合には、緊急時の戦力として使えるマンパワーが、平時よりもずっと少なくなってしまうのだ。

どこの鉄道会社でも、素晴らしい研修施設を持ち、相当な時間を社員教育に費やしている。
「お客様第一の気持ちを決して忘れてはいけません」という原則論については、それこそ耳にタコができるほど繰り返しているだろう。
しかし、原則論だけでは、なかなか教育効果が上がらないものだ。
私(樋口氏)も部内教育の仕事に長く携わってきたが、「一を聞いて十を知る」、すなわち原則についての説明を受けて、現場ですぐにそれを応用できる人材は決して多くない。
単なる原則論にとどまらずに、様々な局面を提示しては「この場面ではどう行動すれば、お客様の為になるか」を考えさせる実践的教育が必要である。

(教育時間、回数、資料数等の)件数主義が当たり前になってしまうと、手間のかかる実践的教育をわざわざ行わなくなるのは当然である。

エスカレーターの片側歩行がこれほど日常化してしまったことで、鉄道会社側では、良くないこととは知りつつも、その現状に慣れて危険性をあまり意識しなくなっているのだろう。
事故防止活動において最も忌むべきは、この「慣れ」である。
誰かが足を踏み外したら、あっという間に群集なだれが発生するだろう。

「アウトソーシングの多用による現場の対応能力の低下」「自分の頭で考えようとしない若手を作り出す社員教育」「危険状態が日常化したことに対する慣れ」の三点は、多くの会社にも共通する問題であるはずだ。
是非とも他山の石としていただきたい。

組織事故に関係する課題の三点を挙げられています。
組織(或いは人)は、放っておけばこのようになる!
(「エントロピー増大の法則」「正常化の偏見」というような言葉も使われる人の行動に関わる課題です)
日常の要点を押さえた努力が必要となります。

良くいわれる、火事を消す手法への努力よりも、先ず火事を出さない努力です。
言うは易く継続するは難しい人の行動に関わる永年の課題です。

組織においてそれを行い得る役割&部署は?
経営トップの判断と安全衛生部署(危機管理部署)による管理実践しかない--?
或いは優秀なライン管理者?

最近の鉄道会社のエスカレーター片側歩行への指導状況は?
「高齢化社会を迎え、これからは弱者への配慮が求められる時代。一人一人が自覚を持ってマナーを守り、2列に並ぶ」といったことが最近強調され出しましたが、現実はどうでしょうか?
「日常の文化を変えるのは難事」--何時もいわれる言葉です。

これらの課題について、日常の中への「“仕組み作り”の知恵」が求められています。

安全はタダではない

<ヒューマンエラーが発生する構図>

ヒューマンエラーに関するこれまでの議論では、こうしたカネの話しがともすれば忘却されがちだ。
「危機感が足りない」「職業倫理が欠けている」といったコメントがその代表例である。
たしかに教育訓練によって危機感を醸成し、職業倫理を植え付けることは非常に重要だが、それだけではヒューマンエラーを防止できない。

医療機関のようにヒューマンエラーが重大事故につながりかねない職場では、ヒューマンエラーが発生することを前提として作業手順を組んでおくことが必要となる。
つまり、「エラーを起こさない」という発想だけでなく、「エラーが起きた場合でも、その被害を防止する」という発想を持たなければいけない。

現代の日本は、安全・安心を最優先としているようにみえるが、それはあくまでも原則論にとどまっている。

精神論を声高に唱えるのではなく、「安全はタダではない=カネがかかる」という当然の事実を直視する必要があるだろう。

「人はミスをする」という認識は安全管理の大前提
安全は技術で解決する
(先ず技術的解決策を図るという試み)
そして、そのための3原則が提案されている(リスク低減対策の3StepMethod)

1.本質安全の原則
 機械の危険箇所(危険源)を除去する、または人に危害を与えない程度にする。
2-1.隔離の原則
 人が機械の危険源に接近・接触できないようにする。
2-2.停⽌の原則
 一般的に機械が止まっていれば危険でなくなるので、人が機械の動作範囲に入る場合は、インターロック等で機械を停⽌させる。
 または、停止させてから入場を許可する。
3.管理における対応
 作業手順の活用、教育訓練の実施等の経営管理的手法の活用を検討する。

これらを実現するために必要なコストをどう捉えるかの問題を言われています。

近視眼的な対応が墓穴を掘る

<クレーマーに安易に妥協する○○会社>

クレームを付けられた現場の担当者は、立場が苦しいものだから、イージーな手法をつい選びがちとなる。
しかし、事態を取り敢えず収拾しようとする近視眼的な対応は、まさに墓穴を掘るようなものだ。
長期的に見れば、クレームを付ければ優遇してもらえるという評判が広がって、どんどん事態が悪化することになる。

クレーマーに安易に妥協する○○会社は、彼等にしてみれば、鴨がネギを背負っているようなものだ。

安易に不当なクレームに妥協することについて説かれていますが、それには経営管理としての事前の準備が必要と感じます。
現場担当者にトラブルの責任を負わせるようなことがあっては、担当者は安易なクレームへの妥協という方法を選ぶようになるのも自然な方向であろうと思われます。
責任の帰結も含めて、経営方針としての対応手順(マニュアル)を定めて、現場担当者が安心して不当な要求に対応できるようにするのは経営管理者の責任だと考えます。
クレーム対応へのリスクアセスメントにもとづく対応手順(リスク低減対策)の検討が必要となります。

「リスクアセスメントは会社の責任で行うモノ」という認識がまず必要となります。

人事評価とハロー効果

<認知バイアスの落とし穴>

(誰からも「フェアーな人」と言われているような人でも)自覚がないままに認知バイアスの陥穽にはまっていた可能性があるということだ。

職場で人事評価をする場合にはそう簡単ではない。
管理者側は、評価対象が誰であるかは勿論のこと、当人の過去の業績やプライベートの情報まで色々と承知しているので、どうしても先入観が生じてしまう。
しかも、試験の採点よりも評価の要素がはるかに複雑かつ曖昧であるために、ハロー効果の罠に陥りやすい。

個人の力量を見極めようとするのであれば、その人の「後光」が輝かない状況下で観察するのが一番である。

ハロー効果の他にも、公正な評価を妨げる認知バイアスは色々とある。
そもそも人間それ自体が感情という名伏しがたいものに衝き動かされている以上、100%客観的な評価の物差しなど存在するわけがない。
それでも、組織が活動を続ける以上は、人事評価を避けて通るわけにはいかない。
評価というものがこのように危うく、不安定で脆いことを、管理者たる者は常に自戒する必要があるだろう。

個人評価の難しさを説かれています。
そして、その評価は客観的な基準に基づいてなされることの必要性を説かれています。
評価基準を事前に明確にし、個々人が納得しての業務評価とすることの必要性に言及されています。
そしてこの評価には、当然に経営方針にもとづく基準も入ってくるものと考えます。

どういう基準で自分の評価はなされているのか、その評価基準が明示され、全員に納得が得られるか--。
そして、同時に必要と考えられるのが、一度の評価がその後ながく尾を引くことがないということ。
--明示された評価基準に適合する客観的結果が出れば、復活もあり得るという基準も同時に必要なのではと考えます。

上司への対応が上手な人と下手な人がいますが、業務における努力実績の評価はそれとは別のものとするという考え方です。
勿論この基準運営の根底には「人の和」を忘れてはならないのですが、企業のこのような評価透明性への取組みは、社員のやる気の根底に必要なのではないかと思います。

乾いた雑巾をさらに絞るな

<護衛艦「しらね」の火災事故>

「しらね」は、海上自衛隊の作戦活動において中心的役割を果たすヘリコプター搭載型護衛艦で、横須賀を本拠とする第一護衛艦隊の旗艦を務めていた。
それほどの重要な艦が、この火災により一年間も行動不能となってしまった。

この火災事故の火元は、飲物を温めるのに使っていた冷温庫と判明した。
米国製機器を多数装備している護衛艦では、艦内の電圧を米国式の115ボルトに設定している。
しかし、問題の冷温庫は国内向けの100ボルト仕様だったため、長期間にわたって使用を続けているうちに出火したものと推定されている。

実は、この冷温庫は官品ではなく、CIC(護衛艦の頭脳部署)の勤務員が艦内に持ち込んだ私物だった。
つまり、公式には「存在しない物」であったために、海上自衛隊では特段の管理措置を取らなかったのだ。

こうした機器を官費で購入しなかったのは何故だろうか。
これは、「職務である以上、それをきちんと遂行するのは当たり前だ」という財務省お得意の精神論に基づき、飲料の摂取は組織と無関係の個人的行為と位置付けられているためだ。

その実力を存分に発揮させようとすれば、相応のサポートをしなければならない。
しかし、精神論が強調される組織では、その当然のことが通じないのだ。

「贅肉」である冗費を切り詰めるのは結構だが、それ以上に経費を削ろうとすれば、職場環境に関する部分に踏み込まざるを得ない。
老朽化した建物や設備を引き続き利用する、文房具などの消耗品の購入を減らす、照明や空調のレベルを下げる、社内行事やクラブ活動を廃止する等々の措置を取るようになる。

ある程度の経費削減までは、現場の工夫によって乗り切ることも可能である。
しかし、「前年度比○%削減」の目標を掲げ、年々締め付けを強化し続けたのではたまらない。

職場環境の面で浮かせられる経費は高が知れている一方で、その悪影響は深刻であるからだ。
「しらね」のケースのように「裏技」が使われれば、制度と実務の乖離が生じ、安全管理やコンプライアンスの面が危うくなる。
それにも増して問題が大きいのは、現場の活力が失われることだ。

経費削減が進んでいるが、現場はやる気を喪失して成長はストップしたままという企業が続出するのである。

今後の経営者は、経費削減の呪縛から組織を解放し、多少の失敗や無駄は覚悟の上で、たっぷりと水を含んだ新しい濡れ雑巾を探しに行くべきだろう。

身につまされる内容ばかりであり、引用が多くなりました。

省エネルギー活動を思い出します
経費節減を下請けに回したことを思い出します

それらの影響は今どのように出ているのだろうか?
周辺の活力が落ちていないだろうか?

年間○○%削減を無理して継続していくことがマネジメントシステム認証の条件ではないはずなのだが、そんな数字にこだわり、達成できたら満足していた単純さ!
実質を忘れた形式主義--これは衰退期の徴候?

このようなことが今も継続しているのであれば心配です。
ただ、「たっぷりと水を含んだ新しい濡れ雑巾」を探すのも難事ではありますが---