組織事故・トラブルのメカニズム ③-5

樋口晴彦氏の文献「組織の失敗学」(中災防新書)は、組織事故・トラブルについての “気づき” と “認識の深め” について非常によい示唆を与えてくれます。
書かれている教訓的な内容をピックアップし、自戒も込めて筆者の思いを少し述べさせていただきたいと思います。
<失敗の教訓に学べ>

全社員に告ぐ

<雪印乳業・忘れられた教訓>(要約)

1955年3月、雪印乳業の八雲工場製造の脱脂粉乳を給食に供した小学校で、児童など1,936人が激しい嘔吐、下痢などの症状を起こす集団食中毒事件が発生した。
その原因は、製造中の設備故障と停電が重なって、プラントが停止した際に、本来の手順に違反して原材料の殺菌処理を翌日に繰り越した結果、加熱状態で放置された原料乳の中で溶血性ブドウ球菌が増殖したものである。

当時の社長が、従業員教育の一環として社員に向けて、経営者の熱い思いを語った「全社員に告ぐ」という一文を発した。
・品質によってはじめて当社の存在があり、当社の繁栄があり、また社員の幸福があるのである。
・信用を得るには永年の歳月を要するが、これを失墜するのは実に一瞬である。
・---

以上のような雪印乳業の取り組みは、当時としては非常に先進的なものであり、マスコミもそれを好意的に報道したので、消費者のイメージも逆に向上した。
雪印乳業では、その後も毎年の入社式で「全社員に告ぐ」を新入社員に配布し、その精神を伝承してきたが、30年後の1986年に配布が打ち切られている。

2000年6月、雪印製品による大規模な食中毒事件が再び発生し、14,780人もの消費者が被害を受けた。
同社の大樹工場において、停電によって製造設備が停止し、パイプ内に滞留した原料乳の中で黄色ブドウ球菌が増殖してしまった際に、社内規定に従って廃棄をせずに、それを用いて脱脂粉乳を製造したことが原因だった。
停電の偶発的トラブルと現場担当者の手順無視が重なって事件を引き起こしたという点で、まさに八雲事件と瓜二つである。

<先生の結論要旨>
企業という閉鎖社会の中で伝承しようとするから途絶えてしまうのである。
そこで筆者(樋口先生)は、不祥事に関する報告書を公刊物に掲載することをお勧めしている。
また、インターネットで公開するのもよい。
要するに、不祥事に関する情報を社会的財産とすることで、その伝承を確実にするわけだ。
現実には、「我が社の恥ずかしいところを他人に見せたくない」「世間に早く不祥事のことを忘れてもらいたい」と考えている経営者が少なくないだろう。
しかし、そのような発想は、失敗経験の伝承=不祥事の再発防止よりも、自社のメンツの方を重んじているということだ。
突き詰めてみると、「不祥事の再発防止は何事にも優先される」との意識を経営者自身が持てるかどうか、すべてはその一事にかかっているのである。

災害ともなると企業の意図に関係なく公に公表され記録に残ります
また、重大事故の場合は法規制が改正されることもあります。
ところが、企業内部でとどまるような事故・トラブルの場合は、社会の思惑が乱れ合い、先生の言われるような事態へと展開していくことも多いと思います。
公にされた災害に関する種々の教訓でさえ生かされずに、同種の災害が繰り返されるのですから、閉鎖組織においては尚更のことだと思います

人を責めず失敗の教訓を有効に生かそうとする取組みは、多くの識者が試みられています。
多くの貴重さ資料等も残されています。

「全社員に告ぐ」は品質管理の理念を示された名文です。
問題は、30数年続いた「全社員に告ぐ」を打ち切ったという、当事者側の認識(意識の優先順位)となってきます。
「時間(年数)の経過--人の入れ替わり(時代的な価値観の変化)」という課題を乗り越える叡智が必要となります。

洞爺丸事故を振り返る

<どうして洞爺丸は沈んだのか>(要約)

<事故の概要>

1954年9月26日夜、青函連絡航路の鉄道連絡船洞爺丸(総トン数4,337トン、旅客定員1,209人)が、台風の波浪により函館港外で転覆し、乗客乗員合わせて1,155人が死亡した。
有名なタイタニック号事件(犠牲者1,513人)に匹敵する大規模海難事故であり、我が国の海運史上最悪である。
この事件を契機として北海道と本州を結ぶトンネルの建設が開始され、1988年に青函海底トンネルが完成した。

中心気圧968ヘクトパスカル、最大風速40mと強い勢力の台風15号(洞爺丸台風)が猛スピードで移動した。
当時は気象衛星どころか気象用のレーダーも未整備だったので、日本海上の台風15号の動きを観測することはできなかった。
日本海に抜けた台風は急速に衰えるのが通例であったが、台風15号はまさに例外中の例外で、その勢力を維持したまま北上した。

出港を予定していた洞爺丸も港内で待機していたが、午後5時15分頃に風雨が急に収まり、空も明るくなってきた。
西方海上には青空さえ見えたという。
洞爺丸の船長は、この変化は函館が台風の目に入ったためであり、やがて天候は回復するだろうと判断して、午後6時39分に洞爺丸は錨を上げた。
ところが実際には、台風は西方海上を通過中であった。

函館港の防波堤を出るや否や、洞爺丸は激しい風雨に襲われた。
航海の続行は不可能となったが、港内に引き返すことも危険であったため、そのまま防波堤の外で仮泊しようとした。
しかし、洞爺丸の特殊な船体構造が深刻な事態をもたらした。

洞爺丸は、鉄道車両を船内の車両甲板に引き込んで輸送する方式をとっていた。
そのため、1両が数トンもする鉄道車両を積載しても重心が上がりにくいように、車両甲板は喫水線からわずか1.5mという低い位置であった。
排水量と比べて不釣合いなほどに上部構造物が大きくなっていた。
風速57mという凄まじい強風がその大型の上部構造物に吹きつけ、船体が激しく傾斜したところに波浪が打ち寄せ、車両搭載口から大量の海水が車両甲板に流れ込んだ。
浸水によって機関が停止し、洞爺丸は漂流状態に陥った。
自転車のペダルを踏んでいる時とそうでない時では安定性が全然違う。

この海域は遠浅の砂地であったが、激しい波によって砂が運ばれ、海底に巨大な畝のような起伏が作り出されていた。
その上に船体が乗り上げた。
洞爺丸は身動きのとれぬまま、強風と波浪にさらされて次第に傾斜し、午後10時41分頃に海底の起伏の頂点からころげ落ちる形で転覆した。

洞爺丸の乗客乗員計1,314人のうち生存者はわずか159人にとどまり、死亡率は87.9%に達している。
青函連絡船の管理部門である青函鉄道管理局は、10時39分に洞爺丸のSOSを受信していたが、台風への対応に追われて混乱していた上に、浜辺に座礁したのであれば洞爺丸が沈没することはないと思い込んでいた。

救助活動の開始が遅れたために、何とか七重浜まで泳ぎ着いた遭難者も、極限まで消耗しきった身体が浜辺で風雨に曝され、低体温症になり死亡したケースも少なくなかった。

<事故の原因>

  • 洞爺丸が波浪に弱い船体構造を持っていたこと。
    以後の青函連絡船には、車両搭載口には、車両搭載口に防水扉を設置するなどの対策を施すようになった。
  • 洞爺丸の船長が暴風を覚悟の上で出港したこと。
    洞爺丸の船長は、連絡船勤務30年という大ベテランである上に、操船の名手として知られ、「天気図」とあだ名されるほど気象に詳しかった。
    そのため、自らの気象予測を過信し、台風の西側部分は台風自身の移動速度で風速が減殺されるので、十分に乗り切れると判断したのである。
    なまじ船長が天気予測と操船に強い自信を持っていたことが悲劇につながったといえよう。
  • 鉄道連絡船は「海上鉄道」という位置づけであり、函館・青森発着の列車に接続するように正確に運行することを当初から求められていたこと。
    津軽海峡の気象状況は複雑であり、特に冬場には強い風雪に晒される難所である。
    それでも鉄道並みに時間通りに運行しようとすれば、どうしても無理をせざるを得なくなる。
    つまり、青函連絡船ではダイヤを守るために敢えて航海の危険を冒すことが以前から行われており、そのような現場慣行が洞爺丸事故を引き起こしたと考えられるのだ。
    問題はその鉄道マン流を陸上よりも遥かに不確定要素が多い海上交通に持ち込んだことである。

<先生の指摘要旨>
最近シナジー相乗効果を狙って、業務提携やM&Aにより異業種を取り込もうとするケースが増えているが、この洞爺丸の1件が示すように、畑違いの分野に自分たちの流儀を持ち込むのは必ずしも賢明とは言えない。
相手との「相性」を見極める経営者の鑑識眼がなければ、絵に描いた餅に終わるだけとなろう。

幼児期に聞いた懐かしい事故名です。
この事故も、スイスチーズモデルの「事故は特殊な悪条件が重なって起こる」という教訓を示してくれています。
そして、そのチーズモデルの大きな穴を示してくれています。

船長の判断を例に、専門家(ベテラン)の陥りやすい弱点
狭い範囲で深まると(経験が固定化すると)、全体性が損なわれる。
そしてその内容も、時代と共にその有効性(対応能力)は変化していく。

異業種との関わりについての経営者の深い洞察力の必要性
軽々な業務提携というような発想(事業展開のみに重きを置く発想)の裏に、先生が指摘されるような「自分たちの流儀」のリスクが潜んでいるということの認識。

二つの火災事故

<不祥事を教訓として活かすには>(要約)

よく似た態様の火災事故が発生したA社とB社の対応ぶりを比較して、不祥事を教訓として活かすためにはどうしたらよいかの考察。

<A社の場合>

従業員数約200人の中堅企業のプラントの計器室で火災事故が発生。
支柱に補強材をアーク溶接する作業を行っていたところ、その熱で内側のベニヤ板が発火した。
火災は、計器室の一部を焼いただけであった。

A社はこの事例を深く分析していた。

  • 下請け修理業者の作業員は、溶接の実務経験は約20年と長かったが、アーク溶接作業に必要な資格を修得していなかった。
    そのため、無資格者にありがちな基本の軽視により、火災防止のための養生措置を十分に行っていなかった。
  • この補強作業はビス留めで行う予定であったが、当日朝の打ち合わせにより工法をアーク溶接に変更した。
    本来であれば、変更後の工法に則して現況調査を改めて実施し、リスクを再評価をすべきところだが、そのまま作業にとりかかってしまった。
  • この作業員は昼休み中に単独で溶接作業をしていた。
    他の作業者は休憩中であったため、内壁のベニヤ板がくすぶり始めたことに気づかず、初期対応が遅れてしまった。
    単独で作業を始めた理由は---
    休憩時間において、作業員は現場に残って弁当を食べ終わってしまうと手持ち無沙汰であり、一人で作業を再開してしまった。
  • 初期対応が遅れたもうひとつの理由
    計器室の中から噴き出す煙に気づいた作業員は、自分が現場に持ち込んでいた消火器を使って消そうとしたが、携帯用の小型消火器だったので性能が弱く、火を消しとめることができなかった。
    --実は、この作業現場のすぐ脇には大型消火器が備え付けられていたが、この消火器の格納箱のペンキを数日前に赤ペンキで塗り直したばかりだったので、「消火器」の白文字が消えていた。
    赤ペンキがしっかり乾いてから「消火器」書き込む予定だったが、そのタイムラグの間に火災事故が発生したのである。

事故が発生するときは、こうした「偶然」の要素がいくつも重なり合うことが通例である。
逆に言うと、こうした「偶然」の落とし穴を見抜くために、リスクの再評価を行うのである。

<B社の場合>

現場の改善活動を担当する社員が工場の床に開いた穴を溶接で塞ごうとしたところ、その火花が引火して大事故となり、工場の建物が全焼した。

この社員は溶接関係の資格を持っていたが、社内規則に違反して、火気作業の届出を出さずに一人で作業をしていた上に、耐火シートを広げるなどの安全養生も怠っていた。

管理者への樋口先生の問い

  • 彼はどうして規則違反を犯したのでしょうか?
    彼なりの事情が何かあったように思うのですが?
  • 現場関係者は、その異常(可燃性材料の堆積していたこと)に気づかなかったのでしょうか?
    あるいは異常を認識していたのに、それを放置したのでしょうか?
  • 作業者は可燃性材料であることを知らなかったのでしょうか?

B社のスタンスは、事故を引き起こした直接原因(作業要領違反・メンテナンスの不備・安全教育の不徹底)に対するリスク管理措置を実施したので、それ以上の分析は必要ないというものであった。
そもそも、マニュアルの遵守・適切なメンテナンス・安全教育の実施の3点は安全管理の基本であり、B社ではその対策に努めていたはずである。
そうした対策がなぜ機能していなかったのか、それこそが真の問題点である。
こうした潜在的原因をそのままにして、闇雲に対策の強化を進めるのは、穴が開いたバケツに水を流し込むようなものだ。

<先生の指摘要旨>
これまでの日本におけるリスク管理は、(B社のような)皮相的なレベルにとどまっていると言ってよい。
A社の場合、担当のW氏が火災事故の発生に強い危機感を抱き、できる限りの情報を収集し、自ら納得いくまで分析した。
リスク管理に秘訣はなく、一つひとつをきちんと突き詰めていくことに尽きるのである。

自らの失敗事例は、将来を考えれば最高の財産であるはずだ。
その教訓を活かすことができないとは何ともったいないことか。
経営者の側にも、「この報告書では分析が浅すぎる」と担当者に突き返すくらいの識見が必要であろう。

火災事故に限らず、災害・事故・故障・トラブル等の発生時のメカニズム(主要要因)に通じる内容について言及されています。

<変更管理の不具合の問題>
事故の6割はルール等を変更した際の不備から起きているという報告もあります。
この事例では、当日の朝の打合せ時における、急きょのアーク溶接への工法の変更です。
先生も指摘されているように、リスクの再評価等の準備が不備のまま作業が行われることとなってしまいました。

<一人判断で先走って作業を実施するという問題>
思いつき行動も、打合せ不足の変更管理の問題の一つといえるかもしれません。
思いつき作業は、「余った時間を有効に使って作業を進めれば早く終わる」等の前向きな或いは善意のケースも多いと思われますが、周辺作業者等へ思わぬトラブルとして波及をすることがあります。
--電気工事のように、その作業に関連して影響を受ける人が多い場合、責任者へ連絡、全員周知、指揮者の合図に基づく作業開始等は厳しく言われます。

<不都合な要因の重なりにより事故は発生する>
多重防護により、一つでも防止要素が働いていれば事故は防げたかもしれないという、不具合な出来事の重なりが示されています。

<管理者・経営者サイドの意識の問題>
安全管理に対する管理者サイドの認識の甘さについては、これまでも多く語られていますが、失敗事例への経営者の見識を指摘されています。

理論よりも現実

<森鷗外と脚気病>(要約)

森鷗外は、夏目漱石と並び称せられる明治の文豪であるが、本職は陸軍の軍医であった。

明治期の日本軍では、栄養をつけるために食事に白米を支給した。
それが原因で脚気患者が続出した。

脚気の原因はビタミンB1の欠乏である。
米ぬかにビタミンB1が含まれているが、精米するとそれが失われてしまうことが原因だった。
もちろん当時の医学知識ではそのような因果関係はわかっていなかった。

海軍では、「食事に問題があるのではないか」との仮説を立てて実証実験を行ない、麦飯やパンを支給すれば脚気が発生しないことをつきとめ、兵食を根本的に改めた。
その後の日清戦争では、陸軍では4千人の脚気患者が死亡したのに対し、脚気の予防に成功した海軍では、死者はわずか1人のみだった。

陸軍では医務局が麦飯の導入に反対したため、相変わらず脚気が発生し続けた。
その反対論者の代表が森鷗外であった。
麦飯の効果を否定する森鷗外が麦の供給を認めなかったからである。

日露戦争の間に、兵士の5人に1人に相当する21万人もの脚気患者が発生し、そのうち27,800人が死亡した。
ちなみに、海軍では脚気の死亡者は皆無であった。

海軍の医学は、英国を模範としたもので、学理よりも臨床治療に重きを置いたものだった。
「脚気の原因は不明だが、とにかく麦飯を食えば発病しない」という発想である。
しかし陸軍医務局の中枢は、帝大医学部出身でドイツに留学した経歴を持つエリート医師で固められていた。
学理を重視する彼らは、「原因もわからないのに、麦飯を食えばよいというのは、ただの迷信に過ぎない」と考えていた。
森鷗外は海軍の麦飯方針に対して厳しい批判を展開していた。
ドイツこそが医学の最先端というドイツ留学組の自負と強い学閥意識が、彼の目を曇らせたのである。

しかし森鷗外は研究者ではなく、陸軍という巨大組織の保健衛生をあずかる医務官僚であった。
そして実務家の立場からすれば、臨床成果を上げることを優先すべきである。

あくまで細菌説に固執する森鷗外は、1910年に鈴木梅太郎が「米糠から抽出したオリザニン(ビタミンB1のこと)には脚気予防の効果がある」との研究成果を発表した際にも、決して誤りを認めようとはしなかった。
陸軍が麦飯の導入にようやく踏み切ったのは、森鷗外が軍医総監の職を辞してからのことである。

<先生の指摘要旨>

この一件から導かれるマネジメント上の教訓は「理論よりも現実の方が大事」という当然のことだ。
経営には様々な要素が有機的に絡み合っているが、研究者が観察できるのはその断片だけである。
経営理論とは、経営の表層のごく一部を単純化して説明しているにすぎない。

敢えて申し上げれば、現時点の経営学は、経営の入門知識くらいのものでしかない。
それなりの経営者であれば、経験的によく承知しているようなことを、理論という包装紙で包んでいるだけだ。
逆に言えば、優れた経営者となるには、そうした表面的な経営理論だけでは不十分であり、さらに奥深い見識--経営者としての暗黙知--を求められる。

老子には「無用の用」という概念がある。
経営という混沌とした有機体には、「無用の用」が確かに存在する。

非常に大きな課題についての内容です。
堅物な人間性、権威主義
そして、鴎外が職を辞すまで変更が出来なかった陸軍
ひいては、第二次世界大戦末期の「一億総玉砕」を主張した強硬派は、この陸軍の体質に通じるのではと思われます。
悪しき面の日本人を感じます。

「デファクトスタンダード」「デジュールスタンダード」という言葉が使われますが、現実はデファクトスタンダードで動いています。
デジュールスタンダードはその欠陥部分を補うような役割です。
「学理よりも臨床治療に重きを置いた」という思考はデファクトスタンダードで、学理はデジュールスタンダードとしてそれを確証していくような関係です。
(規定項目は参考にはするにしても)ISO認証とかの権威にぶら下がろうとしていること自体がおかしいのかもしれません。

また、よく使われる「PDCAサイクル」或いは「リスクアセスメント(リスクマネジメント)」にしても、昔の優秀な経営者はそのような言葉など知らなくとも、当たり前のこととして、ちゃんと実践していたと思います。

ついつい話しが大きくなってしまいましたが、根本的に大事な内容が含まれている課題と思われます。

二兎を追わず

<酒米・「越淡麗」の誕生>(要約)

酒米として有名な「山田錦」は、大吟醸酒の原料として利用されているが、新潟の気候では「山田錦」の栽培は難しいため、新潟県の酒造業者は、他県産の「山田錦」を使用せざるを得なかった。
「酒米を新潟県で調達して、『純新潟産』の大吟醸を造りたい」という業界の要望を受けて、新潟県酒造組合・新潟県醸造試験場・新潟県農業総合研究所作物研究センターの三者が共同開発した新品種が「越淡麗」である。
しかし、その「越淡麗」開発の陰には、1993年に発表された品種「一本〆」の苦い失敗経験が存在した。

「一本〆」は、背丈が低くて倒れにくい上に、耐病性も高く、収量も多い。
このように栽培特性(栽培のしやすさ)の面で非常に優れていただけでなく、粒が大きくて「心白(酒造りに用いる部分)」がはっきりと現れ、酒造りにも適していた。
まさに万能選手であるが、この万能さが逆に失敗につながった。

「一本〆」は、背丈が低くて倒れる心配がないので、肥料を控える必要がない。
生産農家は収入増を狙ってたくさんの肥料を与えるようになり、その結果酒米としての品質はガタ落ちとなってしまった。
また、「一本〆」の心白は吸水が極めて速く、醸造所では大きな負担となることもわかった。
加えて、その味は「山田錦」の酒とは、明らかに趣が異なっていた。
そして、結局はお蔵入りとなってしまった。

「一本〆」の失敗原因は総括すると次の2点であった。
その第1は、新品種の選定作業に当たって、醸造実験はあまり実行せずに「心白が大きければ大丈夫」と考え、なるべく栽培特性を伸ばすように心がけたこと。
第2の原因は、普及活動を急ぎすぎたために、栽培方法の管理や収穫された原料米の品質検査を行っていなかったこと。

「越淡麗」の開発では、これらの反省点が活かされた。
「越淡麗」は醸造特性(酒の品質を左右する性質)では「山田錦」と大きな違いはないが、栽培特性の面では間違いなく劣等生であった。
そこで、「一本〆」の反省を踏まえて、醸造特性と栽培特性の二兎を追うことを止め、醸造特性の向上に焦点を絞った。
酒米にとって真に重要なのは、良い酒が造れるという一事のみ、それ以外は枝葉末節にすぎないという割り切りである。
--消費者にとっての意味のない新機能を次々と製品に付加することで、「ガラパゴス化」してしまった一部の業種にはさぞかし耳が痛いことだろう。

確かに「越淡麗」の栽培特性は悪いが、それらは新潟農家の高い農業技術でカバーすることが可能な範囲である。
さらに「一本〆」の轍を踏まないように、栽培は、酒造業者と生産農家による契約方式として生産量をコントロールするとともに、生産農家に対して栽培研究会への参加を義務付け、栽培技術の指導や情報交換に努めている。
収穫された「越淡麗」については、醸造試験場でサンプル分析を実施し、そのデータを公開して生産農家に競わせるという徹底ぶりだ。

「失敗に学ぶ」と口先で言うのは簡単だが、現実には色々なしがらみがあって、なかなかここまで出来るものではない。

あれもこれもでなく、その商品の最重要な特性に的を絞って、それを磨いていき、独自ユニーク性を形成していく。
これは昔から言われていることですが、つい欲を出して、あれもこれもになってしまいます。
そして、結局は大きな成果が上がらず終わる。

「やらないことを決める」「やらないことを決めてから行動する」とは優れた経営者が唱えている言葉です。
出来るようでできません。
その壁となるのが“(変な)欲”のようです。
子どもは一点に集中して遊びますが---

また、「整理・整頓」の大切が言われますが、整理(捨てること)がなかなか出来ないことにも通じるように思います。
これは、経営の極意に通じるのかもしれません。
100%に近い完成を目指しての努力は、80%を超えるとそれまでの倍以上のエネルギーが必要と言われます。
ところが、今までの蓄積の中から不要部分を削り、90%以上の完成に近い宝物を探し出す(削り出す)ことにはエネルギーの投入量は少ないと思うのですが、“変な欲”が邪魔しがちです。

「意味のない新機能を次々と製品に付加することで、“ガラパゴス化”してしまった」とは正鵠を射た名指摘だと思います。
懐かしくもありますが、現在もそれに近いことが行われているようにも思います。

食の安全をどう考えるか

<花王のエコナ事件>(要約)

花王では、1999年に特定保健用食品の「健康エコナクッキングオイル」の発売を開始した。
その主成分はDAG(ジアシルグリセロール)で、摂取しても脂肪がつきにくい食用油。

2003年にエコナの関連商品が特定保健用食品の認定を受けた際に、厚生労働省の新開発食品調査部会が、「念のために、(発ガン)促進作用を観察するため、より感度の高い試験を行う」とした。
そもそもDAGは、どの食用油にも数%程度含まれている物質であるが、発がん促進作用に関して指摘があった以上、少数意見だからと無視するわけにはいかないため、追加試験をすることにした。
この点については、食品安全委員会も「DAGに危険性があるという認識のもとで、念のために追加試験を要請したものではありません」とはっきり認めている。

ところが、この一件を捉えて、消費者団体が「エコナの危険性を行政側が認めた」と反対運動を展開した。
ちなみに、その後DAGに関する研究が進められ、発ガン性試験や発ガン促進性試験など様々な検査が実施されたが、DAGの危険性を示すデータはこれまで得られていない。

読者の中には、「ほんのわずかでも発ガンの恐れがあれば、流通させるべきではない」という意見もあるだろう。
しかし、我々が日常的に摂取している食品の中には、発がん性物質を含んでいるものが少なくない。
要するに、食生活の中から発ガン性物質を完全に排除することは難しいが、バランスの取れた食事をしていれば、それほど気に病む必要はないということだ。

かねてからエコナを敵対視していた消費者団体は、ドイツの連邦リスク評価研究所の微量物質の危惧の指摘を受けて(利用して)反対運動をヒートアップさせた。
そして、経緯をよく知らない一部のマスコミがそれによってミスリードされ、花王は不誠実な企業で許せないという世論が形成される恐れがあった。

当該製品の販売自粛という形で決着が付いたが、経営基盤の弱い企業の主力製品に同じことが起きたらどうなるだろうか。

先生の問いかけ「経営基盤の弱い企業の主力製品に同じことが起きたら--」で終わっていますが、この事件は20年ほど前の出来事です。
昨今ではネットの炎上によって、その危惧の程度が加速している面があります。
意図を持った世論操作に起業としてどう立ち向かうかという(当事者としての)リスク管理の課題です。

また、マスコミは、人が注意を引きそうな方向に話題を広げる傾向を本質的に持っています。
最近は多方面から情報を得ることが可能です。
情報過多の中、情報を受ける側にも相当な見識が必要となっていると思います。

なお現実の活動・生活においては、「絶対安全はあり得ない!」「リスクを負いながら、許容できるリスクのもとで生活している」という認識が必要となります。
(この点については、何度も触れていますが---)