樋口晴彦氏の文献「続・なぜ、企業は不祥事を繰り返すのか」は、組織事故・トラブルについての“気づき”と“認識の深め”、そしてそれらへの判断の指標を与えていると言ってもいいと思います。
書かれている教訓的な内容をピックアップし、自戒も込めて筆者の思いを少し述べさせていただきたいと思います。
トップダウン型の成果主義的経営
トップダウン型の成果主義的経営は、暴走しやすい!
経営者自身の自覚に負うこととなる。
中小企業においては、トップダウン型の経営はむしろ必要な場合も多いと思われますが、成果主義onlyでは行き詰まるということです。
トップダウン型経営者の事業拡張時に陥りやすい傾向
①事前の検討不足(リスク軽視)
経営者の(直感的)意向に肯定的な情報が多くなり、不都合情報はレベルダウン傾向となる。
②事後の監督不足
自社のノウハウ不足が出てくれば、外部の専門組織に任されることがある。
(自社の実力が正確に認識されていない)
(コントロール不能となる可能性を孕んでいる)
社内の状況を十分に分析・評価せず、社外の評価で判断してしまう傾向に陥ることもあるということ。
不祥事等の再発防止対策について
再発防止対策においては、対外的な面を重んじる傾向があり、対策項目の列挙に終わり、真に本質的な対策への検討が加えられていない場合が多い。
組織には個別・具体的な問題が存在するが、一般論に少し筆を加えた程度のモノが多いのではないか?
(経営幹部がマスコミの前で頭を下げる光景は、不祥事時の常態ですが、その示す内容を一番よく見抜いているのは、当該企業の実務担当者ではないかとも思われますが---)
事故・災害への対応においても、現場における直接的な対応で終わり、その背後にある管理的要因とか企業文化(根底には経営者の理念)への反省にまで検討がなされることは少ないのが現状ではないかと思われます。
真面目な人が「組織人」としての立場に縛られて、“心ならずも”不祥事を犯してしまう--
このような事例に出会いますと、ある経営者の言われた「経営者は、社員を犯罪者にしてはいけない」という言葉を思い出します。
天下り組織の陥りやすい弊害
上部組織をカバーするため陥りやすい弊害として、つぎの3類型が挙げられています。
- 天下り幹部の主体性の喪失と従属意識
--天下り先の主体的発展をそもそも期待していない。 - 天下り幹部の近視眼的姿勢
--長期的視点を持てず、改革に消極的になる。 - プロパー社員の思考停止
--上部組織への依存心が蔓延して、プロパー社員は思考停止になる。
虚偽報告は倫理的に許されないだけでなく、長期的視点からも、その代償は大きく、結果として「割に合わない」という認識を組織として確立する必要がある。
下請けへの無理強い(場合によっては元請の都合に合うように不正の強要)も同じような関係となると思われます。
--発注側(元請等)の課長と、下請け側の経営者というような関係。
(下請け経営者の柔軟な対応力で何とかもっている状況)
不正が起きる原因(傾向)
- 自己正当化
苦境下における自己防衛として、自己正当化が全社的に広がると、リスク管理の機能不全に陥ってしまう。 - 監督・知識・ノウハウの不足
組織内の傍流系統に、不正は起きやすい。
経営トップが興味を示さない部署、或いは専門性が必要なため同一の管理者が長く居留まる部署においては、全社的なサポートが手薄となり、不正が起きる温床ができやすくなる。
ネット炎上への対応
ネットの世界の情報は玉石混淆であり、多くの「石」が存在する。
従って、あらゆるネガティブ投稿に対応することは、会社資源の限界もあり、現実的には不可能である。
よって、「どんなクレームにも誠実に対応する」ということは、「重大な案件に中途半端な対応しかできない」ということにもなりかねない。
ネット世界のさまざまな情報のなかから、重要な情報を見極め、それに誠実性をもって重点的に対応していくことが課題となってくる。
「絶対に」とか「完全に」とかいう経営者の精神論的発言は、現場にその無理な対応を押しつける(責任転嫁する)ことになりかねない。
戦略の教条的な実践の負の側面
戦略を教条的に実践して経営資源を集中させるほど、経営資源活用の「偏向」は甚だしくなる。
場合によっては、業績に貢献しないという理由で、リスク管理が疎んじられるようになることすらある。
リスク管理の弱体化が致命的とならないよう、バランスのあるマネジメントが必要であるが、教条的な経営ではそれが難しい傾向(雰囲気:企業文化)となる。
企業オーナーの権威が強いような場合、社員が意見を差し挟むことが困難な状況が生まれ、根源的なリスク要因を抱え込むことにもなりかねない。
OJTに依存しすぎることの短所
OJTについては、次のような短所が挙げられています
- 実務の繁忙さに紛れて教育そのものが忘却される
- 個々の担当者の能力に教育内容が左右される
- 教育担当者が関心を持つ事項に教育が偏向する
- 非定常的な業務に関する教育が不足する
- 作業内容の教育が中心となり、根拠や理論についての説明が不足する
上記の欠点を補うため、(教育事項を整理して)座学等で業務の概要や理論についての教育が行われていますが、実務担当者任せの教育に偏って、教育が不充分になっている組織も考えられます。
異常時対応体制について
緊急時の混乱の中での様々なミスの発生は避けられない。
問題は、そうしたミスをできるだけ減らすために、平時にどのような工夫をしているかということである。
また、非常時には、担当者は緊張のあまり視野狭窄(一点集中)に陥りがちであるため、全体の把握を担当するポジションの要員が必要となる。
そして、このような異常時対応の大筋は、計画・設計段階でほぼ決まってしまっている。
危機管理で大きな失敗を犯さないためには、事前の準備が何よりも重要となる。
(リスクアセスメントの必要性)
寧ろ、初期段階で様々なトラブルを経験することは、検討を深める良い肥やしになる面もある。
「難産の子は健やかに育つ」
情報の管理
情報の選択と集中
情報の管理レベルをすべて上位レベルに揃えることは現実的でない
(無理である)
→優先度に応じてメリハリを付ける
(重要度の低いものを捨てる)
(管理体制が緩い組織を切り離す)
そして、
情報の細分化を図る(セキュリティの大原則)
→取り扱う情報の範囲や項目を制限すること
(次善の策として、仮に情報が流出したとしても、被害を最小限に留められるように情報を細分化して扱う)
情報管理の重要性が言われて久しいが、個々の企業においてはその対応に大きな差がある。
経営(経営者)の方針にもよるが、情報管理の拙さで自企業が損害を被ることはさておき、顧客会社等への被害は最小限に抑える情報の危機管理は強く求められていると考える。
思わぬ組織管理上の弱点で、多大な被害、迷惑をかけないように、いつも狙われているという(窮屈で切ない世の中ではあるが)現実の認識が必要ということになります。
権威主義との戦い
樋口氏の実務経験として、言われています。
「問題点を指摘されると、人は様々な理由を持ちだして自らを正当化しようとする。
そうした言い訳を一つひとつ論駁していくと、次に相手は黙り込むようになる。
しかし、「もうこれで反省しただろう」と矛を収めてはいけない。
そのような妥協をすると、相手は「上手く言い逃れた」と受け止めてしまい、問題行為をそれからも繰り返す。」
とくに権威者を相手にする場合、気後れと共に、「もうこれで反省しただろう」「もうこれで分かっただろう」という紳士的配慮が働いてしまいがちですが、樋口氏は、
「自分自身で思考することを放棄し、『権威に追従していれば何とかなるさ』とする無責任さこそ権威主義の正体なのである。」
と核心的な指摘をされています。
権威勾配ということを言われます
・建築現場における(有名)設計者と施工者の関係
・飛行における(ベテラン)操縦士と副操縦士の関係
・医療現場における医師と医療従事者の関係 等々
重要なのは『事実・中身』という認識!
戦略的対応を深めているか
戦略的判断が薄く、主として戦術的に対応していないか?
現場の努力に負うことも欠かせないが、その裏に戦略的経営が深められていなければならない。
樋口氏は、BCPにも言及されて
「自らの脆弱性について分析し、長期的にどのような対策をとるかということもBCPの一環と理解すべき」
と言われている。
BCP(事業継続計画)は災害対応のイメージが強いが、その本質はリスクマネジメント!
『火事を未然に防ぎ得た者は賢者である。燃え始めた火事を身を挺して消し得た者は勇者である。』
『事前の一策は事後の百策に勝る』
という先輩のことばもあります。