組織事故・トラブルのメカニズム ③-7

樋口晴彦氏の文献「組織の失敗学」(中災防新書)は、組織事故・トラブルについての“気づき”と“認識の深め”、そしてそれらへの判断の指標を与えていると言ってもいいと思います。
書かれている教訓的な内容をピックアップし、自戒も込めて筆者の思いを少し述べさせていただきたいと思います。
<リーダーの覚悟>

偉大なる非凡

Q社の業界はなぜ寡占なのか
・普通の企業は利潤を増やすためにトップブランドを目指すが、Q社はトップブランドでありながら、それを利潤に結び付けようとしていない。

毎分何百個もの材料を選別する職人芸
・生鮮品である原料を扱う製造現場は、まさに細心の注意を払って運営されている。
・バブル景気の人手不足の頃は、やむなく派遣社員を利用した時期もあったが、自社で十分に教育できないことがネックとなり、今では直接雇用に切り換えている。
・パート従業員の比率は1/3を超えているが、製造現場では彼女たちが中心といってよいほどである。
改善活動の提案もパート従業員たちが上げてくることが多く、「この全員参加型の社風がQ社の強みになっている」。

「○○さん」で呼び合う職場
・社内では上司も部下も関係なく、お互いに「〇〇さん」と呼び合っている。
・パート従業員にも一般社員への道が開かれている。
・「楽しさの追求」をしている。
・従業員の家族を招待した工場見学会の開催
・一人ひとりの従業員が自らの目標を手書きしたカードを玄関ホールに貼り付けていたりと、現場ならではの工夫が随所に見られる。
・本人たちが「面白い」「楽しい」と感じていれば、いつまでも自発的に続けられるし、アイディアもどんどん湧いてくる。

「楽業偕悦」の精神
・良い仕事をすれば楽しい。
・お客様も従業員も含めて、みんなで悦びを共にしたい。
・業績向上のために従業員を絞りあげるようなことはしない。
・従業員の親も“偕”に含まれる。
・Q社では、両親が健在の従業員には「親手当」を支給している。

筆者(樋口先生)は下記のように締めくくっています。
「お客様に良い商品を安く提供する」「上司と部下とのへだたりがなく、社内が一致団結している」「明るく楽しく仕事をする」「従業員を家族のように大切にする」というQ社の特徴は、一昔前の日本企業では当たり前のことだった。
それがバブル以降にどんどん失われていく中で、Q社ではしっかり守り通したのである。」
「自らを見失わずに平凡であり続けるというのは偉大なことだ」

素晴らしい一流企業を紹介されています。
そして多くのヒントが示されているように思います。
筆者はこの記事を読んだだけでQ社のファンになり、家庭内のQ社製品を探してみたりしました。

実体のないガバナンス

独立していない社外取締役
・経営者の暴走をチェックできない日本企業(組織)のひ弱さ。
・社外取締役が「指定席」と化していれば、出身母体の意向に影響されたり、「指定席」の枠を守るために経営者に遠慮したりする者が出てくるのは避けられない。
・独立社外取締役に就任した経緯は、全体の2/3が、経営者との個人的関係に基づいて選任されている。
 (独立役員:一般株主と利益相反が生じるおそれのない社外取締役または社外監査役)

社会へ取締役は美味しい仕事
・社外取締役としての活動に投入する時間は、平均すれば毎週2.2時間の労働に過ぎない。
・8割の社外取締役は独自に社内情報を収集する権限を持たないらしい。
・社外取締役がお目付け役としての機能を果しているかどうか疑問。
・仕事の実態をろくに知らず、自ら進んで情報を集めようともしない社外取締役は、経営側の説明に頷くしかないではないか。
・社外取締役を世間向けのお飾りとでも考えているのだろう。

社外取締役の選出プロセスを「見える化」せよ
・委員会設置会社のように先進的とされるガバナンス体制を整備していても、肝心の社外取締役の人選に問題があれば機能するはずがない。
・株主総会が形骸化しているために、経営者が実質的に社外取締役を選出している=監視されるべき対象が監視人を決めるという矛盾が生じている以上、監視が甘くなるのは当り前である。
・そもそも株主総会が理想的に機能していれば、社外取締役を設置する必要もない。
次善の策は、社外取締役の選出プロセスやその活動を「見える化」することだ。

樋口先生の厳しい言葉が続いていますが、今回の日本大学の理事長はじめ理事の専横事件を考えると、納得する面は多々あります。
そして、経営における他の決め事等にも広く言えそうな気がします。
とくに、中小企業においては、社外取締役を置かない企業が大部分だと思います。
しかし、中小企業の場合、経営トップが独断専行すれば、そのツケは即自分達に返ってくるという因果関係が分かり易い面もあり、個々の経営トップの独自の創
意により、抑制的に維持されているようにも思われます

企業が衰退する理由

CSRの基本とは何か

業界の慣れ合い体質を前提とした再構築
・CSRの基本は、会社をしっかり経営して利益を上げ、その利益を配当と税金という形で社会に還元し、さらに従業員の雇用を確保することです。
その二つができていない企業が小手先の社会貢献をしても意味がありません。
・生産能力を削減するだけで利益が回復するというシナリオはあまりにも短絡的と言わざるを得ない。

実体のない将来展望
・現実との乖離を直視せずに、空虚な願望をお題目のように唱えていれば安心できるというのは、日本人独特の「言霊信仰」のなせる業だろう。

あまりに違う時間認識
・社員が一丸となって突き進むためには“夢”が必要なのです。
・生き馬の目を抜くほど変化が激烈な現代において、彼らの周囲だけは十年一日の如く、ゆっくりと時間が流れているのだ。
・馬を水飲み場に連れて行くことはできても、水を飲むかどうかは馬次第である。
衰退する企業には、やはりそれだけの理由があるということだ。

A社は果たして特別なのか?
・世間の企業全体から見れば、A社のようにさしたる覚悟がない企業のほうが多数派となろう。
・これまで「欧米企業と比べて日本企業では意思決定が遅い」という記事を読むたびに、あくまで程度の問題と受け止めていた。
しかし、その意思決定が遅い理由として、A社のケースと同様に、役員室の時間軸がそもそも歪んでいるとしたらどうだろうか。
国際競争に伍していく上で、決定的なハンディキャップとなることは間違いない。

いわゆる『茹でカエル現象』のことを言われています。
--ゆっくりと上昇する湯温の変化に気付かず、いい気持ちで湯に浸かっていて、茹であがってしまうカエル!

日本企業は1990年代くらいまでは世界のトップを走っていた感があります。
しかし、それ以降の経済成長は世界の主要国に大きく後れをとっているといわれます。
日本社会が茹で湯の中に居たのでしょうか?
この遅れに気付いた警告はなされていたように思いますが---
何を反省し、どのような方向へ舵を取らなければいけないのでしょうか?
How から What への方向転換を言われますが、どうすれば What を見いだせるのでしょうか?
それは個々人の意識にもつながることだとも思われますが---

戦略的視点に立つ資源配分の意義

兵器の性能と工作機械の精度

自動車産業の育成
・(戦後の話)高性能の部品を製造するには、高精度の工作機械が不可欠である。
しかし、もともと日本の産業には、機械の性能不足を熟練労働者でカバーするという発想が強く、限界資本係数が欧米の5分の1程度にとどまっていた。

ニワトリと卵
・(通商産業省は)輸入した高精度の工作機械を国内メーカーが徹底して調査できるように手配し、早期に国産化できるように筋道をつけた。
---これ要らないかも?

トップの果たすべき役割
・トップがやらなければいけない仕事=トップでなければできない仕事の第一は、十年先・二十年先を見据えた戦略を立案し、それを実行に移すために社内の資源(ヒト・モノ・カネ)を再配分することである。
設備投資の判断はその最たるものだ。
・最も重要な経営資源であるカネの使い道がわからない経営者、あるいは経営責任を追及されることを恐れて決断に踏み切れない経営者の存在が、将来の日本経済に大きな禍根を残すのではないかと案じられてならない。

ここにおいてもトップの見識を挙げられています。
この本は平成24(2012)年7月に発行されています。
著者の以前のコラム等をまとめたものであるため、この文章が書かれたのはそれよりも数年前であろうと推測されます。
今の状況を10年以上前に危惧されていたということでしょうか。

日本の労働生産性は低いといわれています。
この点について、筆者は「なぜ?」「どのような点が?」と不思議に思っているのですが---
先生の指摘も一つの大切なポイントであろうと考えます。

OECD加盟37カ国中26位
2019年の日本の一人当たり労働生産性(就業者一人当たり付加価値)は、81,183ドル(824万円)。
日本の製造業の労働生産性は、98,795ドル。
OECDに加盟する主要31カ国中16位

私事ニ関スル事言フ必要ナシ

明治43年4月、瀬戸内海で訓練をしていた第六号潜水艦が海底に沈んだという事故があった。
その潜水艦の艇長が佐久間勉大尉であった。
佐久間艇長以下14人の乗務員は、懸命の対策に努めたが、約3時間後全員が呼吸困難により死亡した。

2日後、引き揚げられた潜水艦において、乗務員はいずれも自らの持ち場において殉職していることが確認された。

佐久間艇長の胸ポケットからは、死を目前にして書かれた39ページ、975字に及ぶ遺書が発見された。
遺書は、「小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス、誠ニ申訳無シ」に始まる謝罪の言葉が記されていた。

樋口先生は、

それは、失敗の教訓を伝え残すことである。
佐久間艇長は、沈没した原因、沈没後の状況、艇内で実施した諸対策などを遺書に十数ページにわたって書き連ねている。
当時、潜水艇は導入されたばかりの新兵器で、その製造や運用についてのノウハウは乏しい上に、問題の第六号艇は、我が国で製造した最初の潜水艇だった。
今回の沈没に至った要因を解明し、緊急浮上装置の不備を検証することは、次代の潜水艇の安全性向上に大きく貢献する。
その意味で、佐久間艇長の遺書は、まさに失敗学の実践そのものであった。
さらに、潜水艇という兵器の将来性を高く評価していた佐久間艇長は、本件事故の影響で関係者が委縮し、その開発が停滞してしまうことを懸念していた。
自らの死が刻々と迫り来る極限の状況に直面しながら、決してパニックに陥ることなく、あまつさえ自分の死後における関係者の反応まで見越している沈着さに脱帽するしかない。
その佐久間艇長の姿を見ていたからこそ、乗組員も持ち場を離れようとしなかったのであろう。

と書かれている。

続けて

佐久間艇長は、最後まで職務に尽くした乗務員への感謝の言葉、そして乗組員の遺族への配慮への懇請を記している。
その一方で、遺書の中には、艇長自身の家族に宛てた内容はない。
ただ、表記の「私事ニ関スル事言フ必要ナシ」としているのみ。

そして、樋口先生は、最後に下記のように記されている。

指揮官としては、失敗情報の伝達という職務をあくまで優先せざるを得ない。
さらに言えば、肉親への想いを敢えて遺さないことが、ともに死にゆく部下に対するせめてもの償いと感じていたのかもしれない。
それでも、朦朧とする意識の中で、佐久間艇長は、肉親への哀切に思い乱されたに違いない。
「私事ニ関スル事言フ必要ナシ」とわざわざ記したのは、自らの迷いを振り切るためではなかったか。

樋口先生は、「リーダーの覚悟」という章の最後に、佐久間艇長のリーダーとしての姿勢を挙げておられます。
現代においては、違和感を示される人もいるかもしれません。
しかし、究極の状況がその人の本質を示すといわれます。
願わくば、この佐久間艇長のようなリーダーの下で働きたいと思います。
また、このような状況下においては、佐久間艇長の示されたような本質を個々人は持っているのかもしれません。